omb487号

 紙面を読んで From Ombudsman487 

 

画・松本 令子

 

 菅野 洋人

 4月30日号の「末盛千枝子と舟越家の人々」特集に溢れる、その展覧会を取材した本紙記者の熱意は、5月18日に私を同展(6月25日まで)会場である市原湖畔美術館へ運ばせた。
 末盛さんが作ってきた絵本の原画を見ることは、彼女の仕事を見ることでもある。それらの原画には、描いた画家だけでなく、原作者、編集者、装幀家、そしてそういった人々をまとめあげるプロデューサーとしての末盛さんの姿が浮かび上がる。彼女のそれまでの生涯もポイントを抑えて紹介されており、特にテレビディレクターだった末盛憲彦さんのコーナーは、美術館の学芸員という立場から見れば出品が極めて困難であることがわかる資料のオンパレードで、圧巻だった。
 下りの階段の途中から、地下の展示室全体が見渡せた。そこには、末盛さんの父舟越保武の彫刻《ダミアン神父》を核として、何か得体の知れない「気」のようなものが充満しており、果たして私はそこへ下りていいのだろうか、と一瞬たじろいだ。展示室に降りきり、その分厚い空気をかき分けるように歩き始めた。最初に展示されているのが、保武作の、早くに亡くなった長男一馬を描いたパステル画であることがこの展示のコンセプトを明確にしている。ここは舟越保武の妻とその子供たちの造形作品で構成されているのだ。それらは互いに呼応し合っており、例えば、母道子さんの抽象画と三男直木さんの彫刻やデッサンのセンスは非常に近いものだということが確認できた。だが、そんな解釈をしたところで何になるのか。他人が入り込める余地がないと思わせるほどに、その展示空間は濃密だった。
 ふと見ると、さっきここへ下りてきた階段の展示室側の壁に、保武作の《聖フェリッペ・デ・ヘスス(長崎二十六殉教者記念像のうち)》が展示してある。私は、これが彫刻を上から観ることができる貴重な機会であることに気がついた。階段へ戻り中ほどまで上がってすぐ下をのぞく。真横からしか見たことがなかったヘススの頭を、はじめて真上から見た。そして、彼の頭頂部が剃られていたことを心行くまで確認できた。その髪型はトンスラといい、彼がフランシスコ会の修道士であったことを示すものなのだ。それは同時に、舟越保武が二十六聖人を制作する時、どれだけ史実を調べあげて作品化したのかを示す、重要な証拠のひとつでもあったのだ。

(郡山市立美術館館長)

 

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