紙面を読んで From Ombudsman | 488号 |
寺川 真弓
日々の新聞 第486号表紙の草野心平の詩「二十一世紀」を読んでドキッとした。人類がまた過ちを繰り返す。そのことを承知の上であろう。草稿の段階では二行の間に「人類ではない。」の1行があった。20世紀を生きた人々の切なる願いに、21世紀を生きる私たちはどう向き合い生きてきたのだろう。今まさにこの詩が胸に迫ってくる。
第九のコーラスを唱へるのは。哀しい海だ。
奈良に住んでいると海への憧れはつのる。どこに出かけても海がちらりと見えると「あっ海!」と声にでる。ところが海洋放出のことになると何の情報もなく、もう忘れ去られたかのようで、自分の中でも薄まっていた問題意識に愕然とする。
人は忘れる。そして過ちが繰り返される。記憶し続けることは難しい。慌ただしい暮らしの中で、どれほどの罪過を犯していることか知るよしもない。
奈良時代から続く東大寺のお水取りは正式名称を「十一面悔過」と言う。人々が日常犯している様々な過ちを、心身清めた僧が代わって十一面観音の前で懺悔し、あわせて天下安穏を祈願する大行事である。2023年で1272回目となり、どんなに困難な時でも中断することがなかった。あの松明の火からあまたの人々が希望と力をもらったはずである。
東日本大震災後、一筋の黒い糸を織り込む。人々の犯す過ちはなかったことにはできない。せめてこのことを忘れぬようにと織り込む一筋の黒いよこ糸。織り込んだ黒い糸をないことにはできない。しかし今どんな糸を織るかによって、過去に織ったこの黒い糸の意味を変えることができると気づかせてもらった。
(染織家)
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