omb499号

 紙面を読んで From Ombudsman499 

 

画・松本 令子

 

 齋藤 貢

 9月18日にTUFで放送された『ある家の記録 帰還困難区域浪江町赤宇木』をご覧になった方もいるにちがいない。放射能汚染によって、江戸時代から続く実家の解体を強いられた今野家が抱えた葛藤や苦しみを描くドキュメンタリーだ。まず冒頭で、帰還困難区域の住民がつぶやく。「被害者のわたしたちが政府に除染してくださいと、どうしてお願いに行かなければならないのか」と。
 本来ならば、加害者である国や東電が、「このような計画で除染しますからどうぞよろしくお願いします」と、頭を下げてお願いに来る。そうでなければならないのだが、いつのまにか加害者と被害者の立場が逆転している。このような加害と被害の立場の逆転はこれだけではない。
 今野家では、家の解体を前に、姉弟全員が集まって墓参りをした。そして、先祖に家屋解体の報告をする。さらに、解体される現場にも立ち会わせて欲しいと願い出た。家の解体をわが目でしっかりと見届ける。そうしなければ後で悔いが残ると考えたからである。しかし、家の解体当日、マスコミを伴っていたためであろうか、理由もなく解体は突然に中止となる。家の解体現場をわが目で見たいという今野さんの願いは叶わなかった。その後、解体日の連絡もなく、解体後に実家の解体を知らされるのである。どうして被害者の願いは届かないのか。解体せざるを得なかった責任は、原発事故を起こした当事者以外の誰にあるというのか。ここでも加害と被害とが立場の逆転を強いられている。
 加害者の責任を問うべき事柄がいつのまにか被害者に責任が転嫁されてしまうのはなぜなのか。12年の長い歳月の隔たりが、このような事態を招いたのか。そうではあるまい。放射能汚染の不条理を目の当たりにする時、報道のあり方の重要性をわたしたちは痛感する。被害者や弱者の立ち位置から真実を詳らかに伝える。ジャーナリズムの果たすべき役割が、いま改めて問われているのだと思う。 

(福島県現代詩人会会長)

 

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