紙面を読んで From Ombudsman | 502号 |

平野 雅彦
スイス生まれの建築家ル・コルビュジエがサロン・ドートンヌで「人口300万人の現代都市」を出展したのは1922年のこと。都市の中心には真っ直ぐな幹線道路が走り、超高層ビル群が雲を突き刺すように垂直に立ち上がる。それよって生まれた土地に広々とした公園や緑地を造るこのプランは、たくさんの光が射し込むという意味で「輝く都市」と名付けられた。
続くこと1925年、コルビュジエはパリ万博で「ヴォアザン計画」という車社会を基盤とした都市計画を提案、衆目のみるところ皆一となった。だが、作家で批評家のジェイン・ジェイコブズは『アメリカ大都市の死と生』(1961)でコルビュジエのモータリゼーション・ビジョンを痛烈に批判、これがプランのトドメを刺すこととなった。
遅れること1970年代、既に欧米では下火となったコルビュジエのプランが日本の都市計画で次々と採用されていく。実は、これこそが金太郎飴的な地方都市の貌をつくっていったのである。
さて、自分たちの暮らすまちの再開発の話が持ち上がったとき、私たちはどのような視点を持って参加すればいいのか。その1つが、コモンの創造である。つまりまちのなかに共有財産・共有地をいかにたくさんつくれるかということだ。そこでは、互いをケアし合い、自然を含めて思わず手を合わせてしまうような祈りの場も必要かもしれない。
もう1点注意しなければならないのは、歴史の重層性である。それはまちの記憶であり「らしさ」である。乱暴な記憶の切断は許されない。暮らし、知恵、食、言葉、出来事、商、祭、史料等々、あらゆるものの上に、その地域の未来があることを忘れてはならない。
『日々の新聞』(495号)の特集「湯本駅前には大きな建物は似合わない」はまちの再開発を考えるテキストだ。私たちは、今こそ「コルビュジエの失敗」に学ぶべきではないか。歴史の重層性を念頭におき、何を残し、何を上書きするか。大胆に。だが、慎重に。
(アーツカウンシルしずおか特別相談員)
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