紙面を読んで From Ombudsman | 508号 |
松本 恵美子
3月31日付の日々の新聞506号の表紙「…100年たっても…」の言葉に胸がズキンとする。あの時から13年経ったんだ。
いわき市の地図を広げて福島第一原発からの距離を測った。息子の教科書に載っていた原子炉の構造図を見ながら、聞きなれない専門用語を理解しようとテレビに釘付けになった。断片的に入ってくるたくさんの情報に不安に駆られていた。
3月20日に放射線の専門家が来るというので、自宅待機の中、外に出るのは抵抗があったが、避難場所になっていた平体育館に向かった。とにかく判断する基準が欲しかった。後に御用学者と揶揄される事になる山下俊一氏の「…花粉も放射能も目に見えない…けれど、放射線は測ることができるのです…」という言葉に救われ、すぐさま測定器を手に入れた。
マスコミもたくさん来ていてインタビューを受けたが、放映されたニュースには「…安心しました」だけを切り取られた自分が映っていた。4月16日、崎山比早子先生の講演会で二十数年ぶりに顔を合わせた知人は、今も汚染水の海洋放出反対を訴えている。安全ではないことはわかっていて、安心できる何かを求めていた。
5年前、市内のモニタリングポストの撤去の説明会があると知り、文化センターに向かった。参加者が少ないのに驚いたが、申し込みの煩雑さがそうなる事を狙っているように思えた。40年という廃炉の道筋は見えず、数字が空虚なものであることを、みんなわかっていた。地震も続き、これ以上の異常事態が起こった時、個人の判断の拠り所を奪おうというのか、と怒りをぶつけた。
このいわきに住む人たちは、被害の大きさや形は違っても、みんな心に傷を負っている。ぱっくり開いた心の傷口は、後悔の念とともに塞がることはない。起こってしまったことは、なかったことにはできないのだから。知らなかったでは済まされない、知らなかったと逃げることはできない。いつだって答えを出すのは自分自身なのだから。
私は当時から、地元のアマチュア劇団に所属している。あの時、やっと集まった団員と語り合ったのは、個人個人の中に圧倒的なドラマが生まれているこの現実の中で、演劇に何が出来るのかという問い。そして、ただ自分たちの日常を取り戻すためにと、子どもたちも楽しめる小さな作品の無料公演をした。「心の復興」などという言葉をまだ耳にしない頃だった。
今年も秋の公演に向かって稽古が始まる。
(平泉崎在住)
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