紙面を読んで From Ombudsman | 521号 |
坂口 美日
第518号を手にした瞬間、「トリチウムは本当に危険性が低いのか」という1面の見出しが心を捉えた。福島第一原子力発電所から北西25㎞地点にあった私の生家は、2011年の原発事故で放射能まみれにされ、いまや跡形もない。そして2021年、国は汚染水の海洋放出計画を発表し、「トリチウム水」あるいは「ALPS処理水」として、おきまりの安全キャンペーンを張った。
事故当初から嘘と誤魔化しで真実を隠してきた国と東電が、「安全です」と宣伝すればするほど、信じられない気持ちが強くなるし、故郷を汚した放射能が公然と海に放出されることは、どうあっても許しがたかった。「汚染水の海洋投棄を止める運動連絡会」に参加したり、「これ以上海を」という歌を作ってYouTubeにUPしたりした。とは言え、感情的感覚的に批判しているだけではいけないと思い、インターネット情報や本を購入してみたりしたが、ネット情報は両論で溢れかえり、書籍はといえば、安全キャンペーン費から出版されたと思える国・東電サイドの書籍に比べ、トリチウムの危険性を扱っている書籍は数えるほどしかなかった。
だからこそ、汚染水の海洋放出が強行され1年3カ月が過ぎようとしている現在、こうした書籍の出版は心強い。しかも著者は、日本に原子力政策を導いたアメリカで、エネルギー環境研究所所長の肩書きを持つ研究者だ。記事末文の、「内容が難しいかもしれないが、手元に置いて2、3回読み直すと、良くわかってくる」という翻訳者の話に励まされ、即ネット購入したことは書くまでもない。
第520号の特集「賢治の東京」を読み、小学校卒業文集の将来の夢に「宮沢賢治のような童話作家になりたい」と書いたことや、私の中の賢治にまつわるあれこれを思い出した。
私が初めて賢治の作品に触れたのは、「注文の多い料理店」だった。小学校入学前、父が2つ年上の兄のために買った童話を、兄に負けじと読んだ。山育ちでありながら、結構な年になるまで、木々のざわめきが無性に怖かったのは、そのせいだと思っている。そしてその後も、賢治の童話や詩に触れながら、宇宙の果てから地中深くまで、読む側の想像の世界を広げる賢治の文学に魅せられていく一方で、「宮沢賢治のような童話作家になりたい」など、大海を知らない小学生の無謀な夢であったと、いつの間にか思うようになった。
東京で就職してからは、度々開催されていた宮沢賢治展なるものに足を運んだり、浅草で電気ブランを飲んで賢治の甘党ぶりに驚いたり、結婚して子どもが生まれると、賢治の童話をオペラで上演する「こんにゃく座」の舞台に子どもと一緒に観にいったり、賢治の足跡をたどって岩手に家族旅行に行ったりもした。
しかし、2011年の原発事故を機に私の賢治愛がストップしていたことを、この記事を読むまで自覚していなかった。賢治どころではないと思ったことは一度もないのだが‥。それにしても、賢治がこんなにも東京に足跡を残していたとは知らなかった。現在は、三春に避難する高齢の母の様子を見がてら福島で過ごすことが多くなっているが、冬が来る前に、本郷界隈、千駄木界隈を歩いてみようと思う。日々の新聞520号片手に。
(音楽団体役員)
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