紙面を読んで From Ombudsman | 523号 |
坂口 美日
521号6面からの特集「さようなら矢吹道徳さん」を読み、記事文のいたるところから、矢吹道徳さんという方の魅力が湧き出てくるようで、生前にお会いする機会がなかったことを残念に思った。そして、娘の裕美さんの話まで読み進めて、「外では良く言われるんだけど、家での評価は低いな」というくだりに、一昨年の2月に亡くなった父を思い出して、クスリと笑ってしまった。私の父も、若い頃から運動に身を投じ、常にリーダー的な立場で忙しくしていたので、3人の子育てや家のことはすっかり母に任せて、帰ってくるのはいつも夜中だった。いっぱしにものが言えるようになった私に「家事を母にばかりやらせているのは女性差別だ」と非難されると、父は怒った風も見せずに「夫婦のことに口出すな」と、私をたしなめた。「うふふ」と笑うお茶目さは父にはなかった。
父の育った境遇も、矢吹道徳さんとはだいぶ違う。第2次世界大戦中、職業軍人として兵器の開発を研究していた祖父は、大量の研究資料を馬で運ばせ福島県葛尾村に開拓農民として一家で移り住んだ。弟と妹が栄養失調で亡くなり、父は中学を卒業すると働くしかなかった。ただ、成績優秀を理由に中卒ながら異例の郵便局への就職が認められたことが父の運命を変えた。郵政労働者となったことで、労働運動への門戸が開かれ、必然的に反原発運動、政治運動、音楽運動へと活動の幅を広げて社会の矛盾に抗い続けた。
原発事故で葛尾村を追われ東京に避難していた父は、若い時から詩を書いていたこともあり、詩集『我が涙滂々』を出版した。そして、亡くなる半年前に『故郷は帰るところにあらざりき』を出版した。そのためか、父が亡くなった時の新聞には「原発に抗った詩人」と報道された。しかし私は、父は詩人である前に活動家であったと思っている。そして、その活動の軌跡に蒔かれた種のひとつとして、いま自分がここに在り活動しているのだと。ただ、自分の活動が、いかほどの種を蒔いているのかは甚だ自信はない。が、そういうことは自分ではなかなかわからず、亡くなってからわかったりすることのようだ。なので、特集「さようなら矢吹道徳さん」は、矢吹道徳さんが蒔いた種のお話として、驚いたり笑ったり頷いたり、時に父を思い出しながら楽しく読ませていただいた。
522号1面、「カフェだけでなく、交流空間でもある」を興味津々で読んだ。実は私は「カフェ巡り」をするほどの暇はないが結構なカフェ好きと自認している。何故カフェが好きなのかと問われれば、「こだわりと個性の空間があるから」と答えたい。もちろん、こだわりや個性より流行が先行しているカフェも多いのだが、ここで紹介されている『knuckle café』は、記事を読んだだけでそのこだわりと個性がビンビンに伝わってきた。しかも場所は、母の生まれ故郷の勿来。私が小3の時に父が免許をとり、初めての家族ドライブが勿来の関。そして国民宿舎勿来の関荘に泊まった、思い出の場所だ。それが、施設の老朽化により移転せざる得ない状況に追い込まれているとのこと。いわき市の対応も冷たい。「現状のまま貸す」という約束であっても、その事業が地域に貢献していることを大切に考えるのであれば、特例措置の検討もあって然るべき。署名運動に名前を連ねたい。とりあえず、94歳の母を車に乗せて、『knuckle café』まで、署名しがてらドライブに行くとしよう。
(音楽団体役員)
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