omb527号

 紙面を読んで From Ombudsman527 

 

画・松本 令子

 

 里見 脩

 「昔はあったのに今は無くなったものは落ち着きであり、昔は無かったが今はあるものは便利である。昔はあったのに今は無くなったものは幸福であり、昔は無かったが今はあるものは快楽である。幸福といふのは落ち着きのことであり、快楽とは便利のことであって、快楽が増大すればするほど幸福は失はれ、便利が増大すればするほど落ち着きが失はれる」――保守の論客・福田恆存はバブル期の日本社会を鋭く指摘しているが、近頃益々落ち着きある日本人が少なくなった。落ち着きを失わせている要因のひとつに、空虚で騒々しい情報の氾濫が挙げられる。
 情報社会とは「情報が生活の隅々に浸透し、情報との接触なしでは市民生活を営むことが出来ない社会」と定義される。確かに便利だが、その一方で歪みを生んでいる。即ち、情報の氾濫の中で、大切なものが見えなくなる状態が作り出される。さらに、浸かり流されると、情報に依存して自ら思考することを停止する。こうした社会では上滑りで、空虚な論が受け入れられ、跋扈する。
 日々の新聞(本年1月1日号)で紹介された楽天の今江前監督の「新聞記者は本当でないことも書く。そう思いながら記事を読んでください」という指摘は興味深い。情報社会で生きるには「メディア・リテラシー(メディアを読み解く能力)」が肝要となる。偏在する情報の中から、欠落しているものは何かという疑問を持つ。情報がどのようなプロセスを経て自身のもとへ届いたのか。情報の裏に存在する情報発信者の意図を見抜くことが求められる。全く以て面倒な世の中となったが、それだけに信頼に足るメディアの存在は大きなものがある。日々の新聞を読んで、正気と落ち着きを取り戻したい。

(大妻女子大学特別研究員)

 

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