omb530号

 紙面を読んで From Ombudsman530 

 

画・松本 令子

 

 寺澤 亜彩加

 「お風呂は〜、気持ちいいこと〜、あげてみたら誰しも〜、ベスト5にはい〜る〜、ナンバーワンの人も多い〜〜〜」。大学の頃に講師で来ていた先生の劇団の中で歌われていたフレーズ。確かこの演目を1人で演じきる、という授業があって、一通りセリフを覚えたんだっけ。何かにつけて今でもよく口ずさんでいる。
 人間は生きているとどうしようもなくしんどくなってしまう時がある。なんだか身体は強張ってあちこちが痛いし、そのせいで心もどよーんとしている。しんどいときは、どうするか。わたしは湯本の温泉に行くことが多い。日帰りの時は公衆浴場、あまりにもしんどすぎる時は、いきつけの旅館に泊まって、夜と朝、温泉に浸かる。
 公衆浴場にいくと、近所の人たちがお風呂に入りに来ていて、そこで交わされる生活の会話に耳を傾ける。内容を覚えているわけではない。だけれど、その人たちの声や仕草に生活が見えてくる。そんな瞬間が好きだったりする。いきつけの旅館に泊まる時は、どちらかというとゆっくりと1人でお湯に浸かる感覚を大事にしている。お湯に入ったり出たりを繰り返しながら、疲れている部分をほぐし、お風呂の中で自分に向き合っていく。
 お湯に癒されるとは不思議なことだ。身体が温まるから、いろんな効能があるから、もちろんそういう効果もあるんだろうけど、お風呂に入ることで1日の疲れが癒やされるって、よく考えてみればよくわからない。けれど、お風呂に入ることと生きていくことは密接につながっている。
 わたしを幾度となく癒しているこのお湯は、このまちに生きている人にとってのお湯でもあり、遠くからやってくる人にとってのお湯でもある。そして、地球の持つ壮大な時空と、人間がそこに関わってきた歴史を、このお湯は孕んでいる。
 まちの至る所でこんこんと湧き出していた時代もあるけれど、石炭というエネルギーを大地から掘り出す時にたくさん溢れ出して、枯れてしまった時代もある。炭鉱と温泉の戦いの中でも、憎き石炭を使って湯を沸かして続いてきた旅館があって、その先で炭鉱の技術を使って掘り出されている温泉がある。
 その不思議さに思いを馳せながら、今日も温泉に浸かっている。肩まで浸かろう、10秒数えたら出ようと思っている間に声が聞こえてくる。「こんばんわ~」「なあに最近顔見ねえから心配してたんだ~」「先に髪を洗っちゃいなさい」「ふう~、あっつぅ~」「んじゃ、お先にね」「またね~」。声がお風呂場にこだましていく。ぶくぶくぶくぶく。

(日本パラサイクリング連盟・いわき時空散走事務局長)

 

そのほかの過去の記事はこちらで見られます。