omb551号

 紙面を読んで From Ombudsman551 

 

画・松本 令子

 

 渡辺 謙吾

 第548号「いいじまホビーのはなし」を読ませていただいた。老舗模型店が閉店とは、なんと寂しいニュースだろう。
 わたしは昭和47年生まれ。小学生から中学生にかけて、プラモデルやラジコン、ミニ四駆といった模型作りに熱中し、文字通り寝食も忘れて没頭した。記事にもあったように、おりしも模型ブームのまさに絶頂期だった。
 生まれ育った山形県上山市にも、小さいながら、いいじまホビーのような模型店がひとつだけあった。「さかい模型店」という屋号だった。学校から帰ると、毎日のように一目散に自転車を走らせて通い詰めた。少ない小遣いのほぼすべてを、わたしはその店に捧げていた。店内のようすはいまでもありありと思い出せる。高級で値段の張るリッパで大きなプラモデルやラジコンキットの数々は、どれも棚の最上段に誇らしげに並べられていた。物理的にも懐事情的にも手が届かないわたしは、いつもそれをうっとりと眺めながら、小さなプラモデルや工作キットなどを買ってはせっせと作る毎日だった。
 店は、こどもたちにとって一種の社交場だった。いつも、近所のこどもたちで活気にあふれていた。「模型店デビュー」した低学年のころは、店の前で得意げにラジコンを走らせたり、店主と親しげに話す高学年たちの姿はやけに大人びて見え、憧れの存在だった。
 その店では、プラモデルのできばえを競うコンクールも定期的に開催されていた。当時はガンプラブームの真っ只中で、応募作品のほとんどはガンプラのジオラマで占められていた。当時のわたしは、なぜかガンプラにはさほど興味が湧かず、ひたすらクルマばかり作っていた。人見知りで引っ込み思案なわたしだったが、あるとき勇気を出して応募してみたことがある。もちろん、クルマのプラモデルだった。「ガンプラでなければ賞はもらえない」とのもっぱらの噂だったが、なぜか「銀賞」に入賞した。賞品はたしか、2000円分のサービス券だった。テストで100点をとるよりうれしかった。なんだか大人の世界に認められたような、誇らしげな気持ちになったことを覚えている。
 その「さかい模型店」も、ファミコンブームに押されたせいか、高校に上がった頃、いつのまにか閉店してしまっていた。時は過ぎ、社会人になって数年後、たまたまかつての店舗跡を通ったことがあったのだが、そこは記憶の中の広さの10分の1ほど、5坪程度のまさしく「ネコの額」のような場所でしかなかった。しかしそこは間違いなく、こどもだったわたしの憧れのすべてが詰まった、心踊る「夢の空間」だった。
 こどもだけでも平気で出入りでき、親の視界の外で安心して他の大人や違う学年のこどもたちと接することができる場所は、気づけばもう、ずいぶん減ってしまったように思う。自分の頭と手を総動員してなにかを作り出す愉しみと喜びは、こどもの頃にこそたっぷり体験しておくべきだ。喜びだけではない。失敗し、小遣いを無駄にする悔しさもとことん味わうほうがいい。いいじまホビーは、こどもたちにそっとそれらを教えてくれる、優れた教育機関だったのではないだろうか。
 若干こじつけなのかもしれないが、こどもにとって模型づくりは読書体験ともどこか重なるように思う。ワクワクしながらプラモデルの箱を開け、説明書を眺めながら完成した姿を想像する。作り始めると、数々の難関に遭遇する。失敗もする。それでも、夢中になりながら途中で投げ出さずになんとかひとつを作り上げたときの喜びはたまらない。それはどこか、少しむずかしいけれどたまらなくおもしろい1冊の本を読破したときのよろこびにも通じるような気がする。
 我を忘れて夢中になれるものに出合える場所が、いつの時代もこどもたちには必要だ。安心安全でコスパに優れた体験ばかりでは、やっぱりどこか退屈だろう。
 コロナ禍を機に、模型業界も再び活気づいてきているようではあるが、それはいささか、かつての活気とは異質なようにもわたしには見える。主役であるべきこどもたちが(親の目を離れて)安心して好奇心を爆発させられる場所は、いつの時代にもやはり必要なのだと思う。いいじまホビーの閉店を、郷愁とともに嘆くだけではもったいない気がする。

(すぎのいえ書房)



 

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