大内さんは埼玉県深谷市出身。東京で映像関係の仕事をしていたが体を壊して1年間入院したことから、妻・瑠美さんのふるさとである東海村に移住した。震災後、那珂市の菅谷地区で、水郡線の上菅谷駅周辺を活性化させようという「カミスガプロジェクト」が始まり、SNSで参加者を募った。大内さんも「自分で何か役立つことがあれば」と協力を申し出て、地域活動に関わるようになった。
その辺りは、駅前に通りはあったが店も何もない場所で、歩行者天国を始めたら2万人から3万人もの人が集まった。大内さんはプロジェクト代表の菊池一俊さんに、地元を題材にした自主製作映画の企画を出し、何本かかたちにした。
2016年(平成28)のことだ。瓜連にあるスーパーが店じまいすることになり、オーナーからプロジェクトに「建物を使って瓜連が盛り上がることをしてみないか」と声がかかった。「映画館かライブハウスがいいのではないか」ということになり、映像に詳しい大内さんに話が来た。もともと映画は好きだし、茨城に移ってからも映像広告関係の仕事をしていた。「ではやりましょう」と返事はしたが、準備段階でスーパーだったところを映画館にするには、消防法などの関係で無理だということがわかった。
そこで大内さんは、「やめる」のではなく「やる」という決断をする。映画館を運営するための会社を立ち上げて借金をし、スーパーの駐車場だったところをオーナーから貸してもらって映画館を建てた。費用は、建物や映画機材などで2500万円。1口5千円でクラウドファンディングを募り、約350万円が集まった。
とはいっても、映画館を経営するノウハウがない。そこで出身地にある「深谷キネマ」にお願いしてボランティア研修に入り、配給会社や機材に詳しい人を紹介してもらった。まさに一からのスタートだった。
開館は2017年(平成29)10月。自ら1カ月のラインナップを組み、長くて4週間、短くて1週間上映する。土日はほぼ満席で、平日は多くて10人ぐらい。ただ、基本は配給会社との歩率制なので、入った数の半額が手元に残る。始めたばかりのころは「できるのだろうか」という心配もあったが、始まってしまえばさほど心配なくやれている、という。映画館の上がりは、スタッフの給料と借金返済に回して少し残るぐらい。自分の給料を出せるまでには至っていないので、家計は映像関係の収入で賄っている。
狭いロビーには映画監督、俳優の色紙やクラウドファンディング協力者のボードなどが張られている。なかには大林宣彦、佐々部清(ともに故人)、黒沢清の各監督、井浦新さん(俳優)など著名人のものもある。特に佐々部さんは開館当初から、さまざまな面で応援してくれたそうで、ポートレイトも飾ってある。4周年記念として佐々部作品「八重子のハミング」を上映した。
大内さん自身も、もちろん映画好き。小津安二郎や黒沢清のファンで、単館系の良作にのめり込むきっかけをつくってくれたのが、ヴィム・ヴェンダースの「パリ、テキサス」だった。黒沢さんが来てくれたときは、うれしかったという。
上映作品の選び方としては、茨城県内であまりやっていないもの、社会的に見てもらう価値があるもの、見てもらった方がいいと思うもの。意外だったのは、上映時間がとても長い「ニューヨーク公共図書館エクス・リブリス」が結構入ったことで、同じ監督の「ボストン市庁舎」も上映する予定でいる。最近では「ドライブ・マイ・カー」が、ほぼ満席だった。
コロナになる前はカフェをつくろうかと思っていたが、飲食そのものが厳しいし、お客さんも来づらいと思い、いったん計画を流した。しかも客席を17に制限し、事前予約制にした。そうしたなかで、スクリーンをもう少し大きくする予定だという。
大内さんは「上映作品を選んでいるときは、わくわくするけれども、作品数が多いので何をどう選ぶか、決めるのが大変です。なんだかんだ言っても1年間で1万人のお客さんが来てくれるので、少しは地域の役に立っているかもしれません。一番は続けていくことだと思っています」と話す。