棚倉町では商工会商業部会が中心になって、めだかによる町おこしと取り組んでいる。そこには、町のあらゆるところにめだかの飼育箱があふれ、人々の会話が弾んでなごやかな町になれば、という思いがある。そのために町民を対象にした「めだかの学校」を開校し、校則や校章もつくった。
この活動の中心になっているのが米肥店を経営している石井二郎さん(63)。棚倉が東北の小京都の仲間入りしたのを機に、経産省の「小規模事業者地域力活用新事業全国展開支援事業」に応募して500万円の予算がついた提。法政大学のチームが中心になって観光物産、資源発掘など、さまざまな調査研究が進められ、会議を何回か持ってシンポジウムも開かれた。しかし、大きな壁があって提言の実現までには至らなかった。
当時、商業部会長だった石井さんは商工会の職員たちがどれだけ苦労していたのかを見てきただけに、忸怩(じくじ)たる思いがあった。「一生懸命に考えてくれた先生たちが棚倉に来たときに、何も変わっていないと感じられるのもつらかった」とも言う。
そんなとき、行きつけの理髪店でめだかを飼っているのを目にした。生け簀(す)を木で囲み、とても風情があった。話を聞いてみると、飼育はさほど難しくないという。「町のあちこちにめだかがいて、笑顔が広がれば何かが変わるかもしれない。まずできることをやろう」と思い立ち、商工会や町に掛け合って予算化してもらった。
最初は40カ所が目標だった。すでにめだかを飼っている人もいて、順調に増えていった。この試みは「東北の小京都棚倉イメージアップドリブル事業」と銘打たれ、①めだかが入っている生け簀を軒先に出す②観光PR用ののれんを活用する③家で眠っている盆提灯を使って盆の時期に飾ってもらう、の三本柱で取り組むことになった。そして、めだか作戦は功を奏し、石井さんの店がある古町を中心に小中学校や高校にも広がり、90カ所以上になった。1年目は桶を助成金で買い、周りを囲う板は製材所から安く譲り受けた。石井さん自身もめだかを孵化させ、2000匹以上飼っている。
「めだかの学校」は11月25日に設立され、校則10カ条や校章が披露された。そして「めだか」に「滅大火」という漢字を当てた。これは1940年(昭和15)3月28日に古町を中心に棚倉大火があり、181戸が燃え、死者2人、傷者5人を出したことによる。石井さんが生まれる前のことだったが、この火事で石井さんの家も母屋(店)と土蔵2棟が燃え、焼け出されている。毎年3月28日に棚倉小学校入口にある秋葉神社で、消防関係者が中心になって無火災祈願をしている。
石井さんは「補助金を3年間いただいたので、学校を設立して自立しなければならない。そして、めだか=滅大火の意識を広く持ってもらい、棚倉大火が風化しないようにしたい。もうひとつ、人通りが少なくなってしまった商店街がめだかを媒介に賑わってくれればと思っている」と話す。