453号

 僕は、曾祖父の佐佐木信綱が立ち上げた「心の花」というグループで短歌を作っています。120年以上続いていて、雑誌も発行しています。幅広い人たちが歌を寄せることで知られていて、かつては勝海舟や美智子さま、異色なところでは日本赤軍の坂口弘さんが牢獄から投稿しました。
 視覚障害者短歌と関わるようになったのは、義父(妻の父)が糖尿病で全盲になったことがきっかけです。そのつながりで目の見えない人の短歌を調べるようになり、日本視覚障害者協会の文芸コンクールとの縁ができました。実は多くの著名人が中途失明をしています。そうした人たちが作った歌について伝え、そこから学ぶべきものを紹介していきたいと思ったのです。
 その代表とも言えるのが、北原白秋です。57歳で亡くなったのですが、52歳のときに糖尿病とその合併症(腎臓病)などで視力を失いました。
 
 照る月の冷さだかなるあかり戸に
 眼は凝らしつつ盲ひてゆくなり
 
 生前最後の歌集になった『黒檜』(昭和15年刊行)の巻頭歌です。白秋の決意表明といえる歌で、目が見えなくなっていく状態を詠っています。新聞記者から「盲になったのですか」と尋ねられた白秋は「目が見えないわけではない。薄明微茫のなかにいる」と言ったそうです。いい言葉ですよね。「ぼやっとした美しいところにいるんだ」ということだと思います。
 この歌集の巻末に「わたしはむしろ現在の境涯において幸せである」と書いていて、その2年前に出た雑誌「ホーム・ライフ」でも「眼疾のため読書も執筆も不可能になったが、かえって詩の道に処して透徹する自信を感じてきた。見なくてもすむものはすっかり消され、物象の奥の真生命が魂を直に震撼させてくるようだ」と話しています。「視力は失ったけれども、そのおかげで見えるようになったものもある。新たな表現をしていこうと思う」という決意です。
 わたしの曾祖父・佐佐木信綱は白秋より13歳年上で、仲が良かったようです。ただ白秋の晩年、信綱が白秋をけなしたらしいのです。すると白秋が激怒し、視力を失った白秋の見舞いに行った信綱が奥さんに「来ないでくれ」と断られてしまった、というエピソードが残っています。信綱は「自分のどんな言葉が彼を怒らせてしまったのか。残念に思う」と日記に記しています。