モノクローム

 うつくしいぼくの村445号 

 『せかいいち うつくしい ぼくの村』(ポプラ社)という絵本がある。小さなパグマン村で暮らす少年・ヤモの1日が描かれている。春、パグマン村はすもも、さくら、なし、ピスタチオの花でいっぱいになる。夏はそれらの実の収穫期で、家族みんなでもぎ取り、村中が甘い香りに包まれる。
 その日、ヤモは初めて父さんとまちに果物を売りに行った。にぎやかな声が飛び交うまち。ヤモは勇気を出して「さくらんぼ」と言いながら売り歩いた。さくらんぼも、父さんのすももも全部売れ、帰りにヒツジを1頭買って――人々がのんびり暮らす、美しい村の物語だ。
 でも、あちこちに戦争の影がちらつく。ヤモの兄さんは戦いに行き、まちには戦争で足をなくした人や銃を持った人がいて、食堂ではおじさんが戦況を話す。物語は帰宅した場面で終わるが、最後のページにこう書かれている。
 このとしのふゆ、村はせんそうではかいされ、いまはもうありません。

 絵本の舞台はアフガニスタン。作者の小林豊さんは戦争が始まって10年目の夏、アフガニスタンを旅し、途中、小さな村に立ち寄った。人々は明るく力強く生きていて、旅人を温かく迎え、小林さんはヤモのお父さんのような人たちと友達になった。けれど村はのちに爆撃を受け、人々がどこにいるのかわからない。その村がパグマン村のモデルになっている。
 1979年のソ連軍の侵攻以来、多民族国家のアフガニスタンは戦争が続き、パグマンのような村が数多くある。「ぼくのうつくしい村」が、こんなふうになってしまったのはなぜなんだろう。絵本は静かに問いかける。アフガニスタンと日本はほぼ同緯度にある。西を向いて思いを馳せると、そこにヤモがいるという。

(章)

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