
あの夏のまま | 420号 |
長野県上田市にある「無言館」に2度行ったことがある。1度目は、開館から数年後で、友達と軽井沢に何泊かした時にレンタカーを借りてだった。まだカーナビが装備されておらず地図を見ながら、道を何度も聞いてたどり着いた。
近くの信濃デッサン館でお茶を飲み、ひと休みして坂道を上がった。その先は別世界で、戦没画学生の遺作と生きざまが詰まっている。展示だけではわからない「キャンバスの裏側」があり、想像をめぐらす。
3面の、はじまりの美術館館長の岡部兼芳さんの「紙面を読んで」でふれられている、画学生とモデルの女性のこともそうだ。画学生は日高安則さん。日高さんは大正7年、種子島で生まれ、東京美術学校で学んだ。繰り上げ卒業をして、翌年、入営。満州から南方へ向かい、20年4月、ルソン島で戦死した。27歳だった。
無言館が開館して2年後の夏、来館者が自由に感想を書けるノートに、日高さんの裸婦の作品について記されていた。
「安則さんへ。私、とうとうここへ来ました、あなたの絵に会いに。私、こんなにおばあちゃんになってしまったんですよ…」
書いたのは裸婦のモデルをした女性。当時、20歳。洋裁学校の事務をしながら、美術学校でモデルのアルバイトもしていた。裸婦の絵は、女性のアパートで描いた。初めての裸のモデルに、緊張して震えてしゃがみ込んでしまったという。
日高さんは自身の運命を感じ、真剣な眼差しで裸婦を描いた。女性は結婚せず、1人で懸命に生きてきた。「安則さん、あなたが私を描いてくれたあの夏は、私のなかではあの夏のままなのです」と、文章は終わっている。
絵描きは絵が残っていれば生き続けるという。
(章)
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