

未来からの借りもの | 435号 |
4月初め、双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館に行った帰りに、夜の森の桜並木の下を少しだけ歩いた。夜ノ森駅や桜並木の周辺は帰還困難区域なので、国道6号沿いの案内板からは行けず、まちから内側の道を通って向かった。桜はほぼ満開。通り抜ける車に注意して、桜のトンネルにカメラを向けた。
ファインダーをのぞきながら、夜の森の桜を植えた半谷清壽さんのことを教えてくれた曾孫の気賀沢芙美子さん(2019年没)に「今年も咲きました」と報告した。それから、体調を崩している大阪のキルト作家の内田富美子さんを思った。内田さんはキルトで福島や夜の森の桜を表現しようとしている。
数日後、フォーク者のイサジ式さんの3枚目のCD「水は誰のもの土は誰のもの」の発売記念ライブがあった。タイトルと同名の歌を歌う前に、イサジ式さんはネイティブ・アメリカンに伝わる「土地は子孫からの借りもの」という言葉を紹介した。こころにその言葉がずっとあって、あたためていたという。
あとで調べてみた。「地球はあなたの両親からあなたへと与えられたものではない。あなたの子どもがあなたに貸し出したもの。人は祖先から地球を継承するのではない。子どもたちから借りているのだ」。ネイティブ・アメリカンたちは、代々そう語り継いできた。
さらに数日後、福島第一原発の敷地内にたまり続けているトリチウムを含む汚染水の処分をめぐって、菅総理と全国の漁業団体の会長が首相官邸で会談した。席上、「政府の方針(海洋放出)を決定したい」と言う菅総理に、漁業団体の会長は「海洋放出に反対という姿勢は変わらない」と伝えたという。それにもかかわらず、菅総理はこの新聞が読者の手元に届いたころには、汚染水を海に流す決定をしている可能性が強い。
汚染水の処分について、未来の子どもたちから地球を借りているわたしたちはどう考えるのか。決して漁業者だけの問題ではない。あとで後悔しないように、一人一人がしっかり考え、それぞれができることをすべきだ。
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