460号

「椰子の実」のはなし 460号

 朝ドラの「ちむどんどん」で時々流れるから、気がつくと掃除などをしながら「椰子の実」を口ずさんでいる。
 
 名も知らぬ 遠き島より
 流れ寄る 椰子の実一つ

 ある時まで、島崎藤村がどこかの海岸で椰子の実を見つけ、詩にしたのだとばかり思っていた。親友で民俗学者の柳田國男から海岸に流れついた椰子の実の話を聞き、明治33年(1900)、藤村は「海草」という詩の1編として発表した。
 2年前の夏、大学2年生だった柳田は知り合いの日本画家から景色の美しさを聞き、愛知県の伊良湖岬に2カ月滞在した。風の強かった翌朝などに何度か、漂着した椰子の実を見つけたという。
 「……どの辺りの沖の小島から海に泛かんだものか今では判らぬが、ともかく遙かな波路を越えて、また新しい姿でこんな浜辺まで、渡って来て居ることが私には大きな驚きであった」。柳田はそう書いている。
 とりわけ藤村の思いがこめられているのは後半の「実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂 海の日沈むを見れば 激り落つ異郷の涙」のところ。故郷を離れてさまよう自身の憂いを重ねている。
 歌になったのは昭和11年(1936)7月、NHK大阪放送局が国民歌謡として放送した。作曲は東京の霊南坂教会でオルガン奏者をしていた大中寅二。東海林太郎が歌い、「椰子の実」は全国に広がった。
 「ちむどんどん」はどんな展開が待っているのだろう。物語の根底に「椰子の実」が流れているように思う。

(章)

そのほかの過去の記事はこちらで見られます。