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上村ふさえさんのこと | 474号 |
5日ほど前の新聞に、上村ふさえさんの訃報がちいさく載った。詩人の金子みすゞのひとり娘で、3歳の時、みすゞは3通の遺書を残して服毒自殺をした。1通はふさえさんの親権を手放さない離婚した夫に「母にふうちゃんを預けて欲しい」。もう1通は母のミチに「ふうちゃんをよろしくたのみます」、最後の1通は弟の正祐に「さらば、我らの選手、勇ましく往け」と。
遺されたふさえさんは遺言通り、ミチに育てられた。ミチはみすゞを失った翌年、夫を亡くし、ちいさな書店を営みながらふさえさんを育てた。ふさえさんには母の記憶がまったくない。小学生のころ、少女雑誌でみすゞの詩「繭とお墓」を読み「お母ちゃんは天使になって飛んで行った」と思ったという。
16歳の時にミチを亡くし、ふさえさんは戦争が激しいさなかの東京に移り、叔父の正祐のところで暮らし始めた。さいわい正祐の家は焼けず、みすゞの3冊の詩の手帳も残ったが、下関に置いてきたみすゞの遺書や着物などは焼失してしまった。
下関を出る前年、ふさえさんは偶然に母の遺書を見つけ、自殺したことを認識した。その後、ふさえさんは結婚し、娘が生まれた。1984年に『金子みすゞ全集』が出版され、みすゞと詩が広く知られるようになると、みすゞに関するイベントに参加して母への思いを語り続けた。95五歳、母の4倍近く生きた。
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