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中西好信さんのこと | 490号 |
父親宛ての土井晩翠からの礼状を大切に保管している中西好信さんは大正13年生まれ。学徒出陣世代で、取材中にその話になった。当時、好信さんは明治大学の学生で「靖国で会おう、一足先に行っている」が合い言葉だった。歯が抜けるように仲間たちは出征し、前線で戦死した友達が多かったという。
好信さんも志願し「松戸陸軍工兵学校入校を命ずる」の通知を持って浪江の実家に帰ると、母に泣かれた。幸い、工兵学校で終戦を迎えたが、もう大学で学ぶ気持ちはなかった。しかし父親に「生きている限り、履歴書はついてまわる。卒業だけはしておけ」と諭され、終戦の年の12月、繰り上げで卒業した。
「だから人間には運があってね。私は幸運に恵まれました」と、好信さんは言う。そして奥さんが大学病院に入院した時、看護師に勧められて受診し、腎臓がんとわかって手術したことや、避難生活で診てもらった病院で他科の受診を促され、動脈瘤が見つかり医大病院で手術したことにふれた。奥さんともども元気で、この秋に99歳になる。
(章)
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