羊羹のはなし | 498号 |
「きょうの夜、NHKの美の壺で、福島の羊羹と佐賀の羊羹が紹介されるみたいです」。佐賀の知人からそうLINEが届いた。「福島は菊人形で知られる二本松かもしれません。玉羊羹が有名です」と返すと「佐賀は小城羊羹だと思います」と。早速、録画予約をして、翌日、家族と見た。
羊羹に「羊」が使われているのは、なぜなのか。前から不思議に思っていた。「美の壺」によると、羊羹はもともと中国の羊の肉のスープのことだった。鎌倉から室町時代に中国に留学した禅僧の僧侶が日本に伝えた。禅宗は肉食を避けるため、羊の肉を小豆やくず粉などで作ったものに変えたという。
室町後期の武家の作法書には羊羹という甘くない料理が記されていて、江戸時代になると、お菓子の見本帳に砂糖を使った蒸し羊羹が紹介されている。わたしたちが知る練り羊羹は、材料に寒天が使われるようになって水羊羹が作られ、そこかから進化した。
さて福島の羊羹として番組で紹介されたのは、やっぱり二本松の玉嶋屋。本練羊羹は二本松藩御用達の羊羹で、参勤交代の際の献上品だった。いまも江戸時代と変わらず、薪を使って材料を練り、できあがった羊羹は竹の皮に包んでいる。
玉嶋屋といえば玉羊羹がすぐに浮かぶ。日中戦争が起きた昭和12年、県知事と軍の依頼で開発され、戦地で食べやすいようにゴムの袋に入れて輪ゴムで縛る方法が考えられた。日の丸羊羹と名づけられ、戦後、玉羊羹に改名。楊子を刺すとつるんとゴムがむける。
そして佐賀も予想通り、小城羊羹だった。小城は日本有数の羊羹まちで、小城の駅前には羊羹の店がずらり並んでいる。小城羊羹の特徴は薄氷のような砂糖の衣をまとっていること。ざらめを多めに使い、表面がうっすら固まったら刷毛帚で傷をつける。
では、いわきの羊羹は?と思ったが、浮かばないのでネットで検索してみると蒸し羊羹の「うまかた羊羹」が出てきた。そのうちルーツを調べてみたい。
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