いわき市歌を歌えない | 518号 |
9月中旬の3連休の初日に、家族に誘われて金管五重奏団「アート・オブ・ブラス・ウィーン」のいわき特別公演をアリオスで聴いた。
この演奏会はいわき市出身で、ウィーンで暮らすピアニストの酒井ゆかりさんが震災を機に毎年、ウィーンの音楽仲間たちと絆コンサートを開いていて、その集大成の絆コンサートをいわきで開催する前夜祭的な演奏会だった。
金管五重奏にはゆかりさんの夫でトロンボーン奏者のエーリッヒ・コーイェダーさんもいて、バッハやピアソラなどの曲を演奏。ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」では、ゆかりさんも加わって全身でピアノを弾いた。
熱気に包まれるなか、プログラムの最後の曲が終わり、アンコールの拍手が続いた。ステージに金管奏者5人とゆかりさんが出てきて「スタッフも知らないサプライズです。一緒に歌って」と演奏を始めた。「いわき市歌」だった。
いわき市歌はいわき市の1歳の誕生日に作られた。歌詞と曲を募集して、詩は東京のプロの作詞家の乗田まさみさん、曲はいわき市出身の小林研一郎さんの作品が選ばれた。当時、小林さんは東京芸大の作曲科を卒業して、再入学した指揮科の2年生だった。
詩は草野心平さん、曲は心平さんが推薦した渡辺浦人さんが補作。完成した「いわき市歌」を藤山一郎さんが歌い、レコード録音された。
それから57年を経て、ゆかりさんのサプライズアンコールだったが、ホールにほとんど歌声は響かなかった。出だしの「若いまち いわき 伸びてゆく いわき」くらいは知っていても、あとが続かない。1番は歌えても、2番、3番になると知らない。20代以下の人は、まったくわからない。
大黒屋がなくなって耳にすることもなくなり、学校で教わることもない。まちづくりがなんたるかを教えられたような気がする。
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