520号

旧東京音楽学校奏楽堂のこと 520号

 上野公園の旧因州池田屋敷表門(黒門)の道路を挟んだ斜め向かいに、旧東京音楽学校奏楽堂がある。1890年(明治23)に造られた東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽部)の日本で最も古いコンサートホールで、ステージにあるパイプオルガンは百四歳になる。
 かつて、ホールでは三浦環が日本人による初めてのオペラ公演でデビューを飾り、滝廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌った。しかし築百年近く経つなかで老朽化が目立つようになり、1980年(昭和55)ごろ、明治村(愛知県犬山市)への移設構想が持ち上がった。
 ところが建築学会や藝大卒業生の黛敏郎さんや芥川也寸志さんたち、それに地域住民が反対の声を上げた。当時の台東区長が「では、うちで引き取ろう」と言い出して、初めは隅田公園に移築する案だったが、最終的に上野公園内になった。そして1987年にいまの場所に移築・復元し、旧東京音楽学校奏楽堂として一般公開を始め、演奏会や音楽資料の展示もしてきた。
 移築する際、壁の間にはおがくずや藁が詰められ、舞台の床にも音響の工夫がされているのがわかったという。もともと東京音楽学校の校舎として建てられた建物なので、中央のホールから両側に建物が伸びていたが、敷地の関係で建物の両側は短くなっている。
 90年ほど前、上野界隈を歩きながら宮沢賢治もこの建物を眺めただろうか。もしかしたらホールで音楽を聴いたかもしれない。古い建物は想像力をかき立て、過去にタイムスリップさせ、まちへの愛情を醸し出させる。そう考えると、わがまちは残念でならない。
 奏楽堂というと、フジコ・ヘミングさんが思い浮かぶ。母の死をきっかけに1995年に帰国し、奏楽堂で何度か開いたコンサートが反響を呼び、再起の場となった。     

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