525号

元旦の新聞のはなし 525号

 2025年、新しい年を迎えた。その朝、「初日の出に間に合うかな?」と、家族に起こされたのが6時半で、断念した。大晦日の晩、11時を過ぎて年越し蕎麦を食べ、紅白歌合戦から続く「ゆく年くる年」を見ながら新年の時報を聞き、早く寝るつもりがベッドに入ったのは午前2時過ぎだった。
 元旦の朝の食事の準備は前日までにある程度してあるので、お雑煮を作りながら、煮物や昆布巻き、数の子入り松前漬け、黒豆と金時豆、紅白なます、かまぼこ…などを大皿に盛りつければいい。家族と盃で乾杯して食べ、あと片づけを終えて食後のコーヒーを飲みながら、元日の新聞を開いた。
 能登半島の地震から1年。一面は「地震 きょう1年」の記事。鷲田清一さんの「折々のことば」は谷川俊太郎さんの、平和は空気のようにあたりまえのもの、という詩だった。そして、めくりながら、今年もまず新年の広告を1つずつ眺めた。
 元日の新聞広告は出版社のものが多く、以前はキャッチコピーもデザイン、発想も熟考されていた。けれど、ここしばらく、言葉もデザインも元気がなく、めくる手は止まらない。元日号という特別感が薄くなっているように思う。清々しい、まっさらな空気は漂っていない。
 そのなかで言葉のセンスはともかくとして、ヤマト運輸の地域みらい製作所いうのが目を引いた。商店の廃業で買い物もままならない北海道の奥尻島(人口は約2000人)で、ヤマトが食品や日用品の販売を始め、移動販売車も走らせている。全国隅々まで広がるネットワークで地域のみらいを支えるという。
 それぞれができることにアイディアのスパイスを振りかければ、社会は変わってくる。

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