手をつなぐように連なる山々に囲まれて、おっかなぼうの森はあります。この森がいつごろどうしてできたのか、なぜこんな奇妙な名前がついたのか、森の番人の長老フクロウでさえ本当のところはよくわかりません。それくらい、むかしむかし、ずっとむかし、山々ができる前から、おっかなぼうの森はそこにありました。
森は気の遠くなるような時間をかけてできあがります。風化した岩にコケが生え、次第に土や砂が増えて1年草、2年草、多年草が栄枯を繰り返し、虫たちが集まり、少しずつ肥えた土壌に低木が現れ、鳥や動物も姿を見せ、最終的には気候に合った樹木主体の森になります。その過程や樹齢に時の振り子も呼応するのか、そこに流れる時間のリズムはゆったりしています。でも、おっかなぼうの森の時の流れはもっとおそろしくゆっくりです。
そのせいか、森に近づくにつれ方位磁石は狂い、あてになりません。途中の山道はどの道も迷路のように入りくみ、まるで山が森に近づけたくないみたいです。やっと森の入り口にたどり着いても、巨木とびっしり立ち並ぶ樹林が入ることを拒んでいます。人間の生活から隔絶された世界がそこにあります。
神様の住むところ、と山々の麓に住む人たちはおっかなぼうの森をあがめます。生態学者は森のルーツを知る貴重な原生林群と、論文を書きました。こけむした倒木に座って1度だけチェロを弾いた音楽家はその音が耳に残っています。彫刻家は透明でしっとりした空気の感触を覚えています。森に愛情を持ち、その威厳と恐怖のベールを打ち破った人だけが足を踏み入れ、感触やにおい、光、音、風を体感できます。
空の下に森はあり、樹々の下に生き物たちが蠢いています。おっかなぼうの森は全体で1つの生き物のように呼吸をしながら、透明な空気と光る水、肥沃な土で森の種をつくっているのです。すべての生きる物が居場所を失わないためです。森に遊ぶことは、おっかなぼうの森の気持ちを知ることかもしれません。
風のはなし
田人の風といえば冬の風です。西にある四時川と入旅人川の谷間からまとまった吹き下ろしが襲ってきます。田人の冬は心も凍えるほど寒く厳しいのです。
逆に涼風は東から、そよそよとやってきます。高原に吹くさわやかな風が夏の暑さを和らげてくれます。
東京生まれのエイサクは、そんな田人で彫刻をつくっています。晴れの日も雨の日も風の日も、自然が織りなす微妙な気圧の変化を感じながら、一心不乱にノミを振るっているのです。仏具山を眺めながら、汗を拭き、自分の精神と木の精霊との対話を続けること。それがエイサクのかけがえのない日々でした。
そんなある日、エイサクの頬を優しい風が通り過ぎました。精霊の羽根が一瞬ふれたような、そんな感覚でした。その瞬間、この世のさまざまなしがらみから解き放たれて、自分が生まれ変わったような気がしまた。勝海舟の言葉に「春風面 (おもて)を払う」というのがあるそうだけれど、そんな心境にさせてくれるような清々しい風だったのです。
何かに行き詰まったとき、不思議と精霊の羽根がどこからともなくやってきて、エイサクの気持ちを楽にしてくれます。そんなとき、エイサクは、生まれたばかりの水を飲みほしたような気分を味わうことができます。
川のはなし
田人の奥の森への入り口近く、四時川の西の岸に古い小さな家がありました。住人はなく藪に覆われ、年老いた倒木のように自然と同化しつつある家でした。ノブキはその家との巡り会いを「偶然の重なり」と説明しますが、たぶん川に魅せられてのことでしょう。魚座のノブキは大の釣り好きで、東京に住んでいた六年前まで、毎週、奥多摩に出かけていたのですから。
ノブキに言わせると、田人の川には抱いていた川のイメージが全部ある、のだそうです。ドジョウやメダカを網で掬った子供のころの川の実感もあります。釣ったヤマメを入れた魚籠の下にひょっこり現れるイタチ、川辺のえぐれた場所でじっとしている怪我したキジ、黄色みを帯びた美しい山鳥。釣り竿を持ちながら、ノブキは川や森とのインスタレーションを楽しみます。
20センチ以上の釣った魚はちゃんと食べることにしています。人間の行為の集積が社会なら、魚を釣る行為にも決してきれい事だけじゃないドラマがあるからです。現代の人工物を素材に複雑に絡み合った人間の行為を表現し、問題を提起するノブキらしい言い分です。
でも自然は人間の行為以上に複雑で、もっと過激にドラマチックです。川辺の家に住んで、ノブキは多くの発見をしています。感覚は研ぎすまされ、日常の目的も変化してきました。月に4日ほど仕事で東京に出かけると、早く田人に帰って釣りをしたいと思うのです。
雲のはなし
サワダが旅人をやめる決心をしたのは35歳の時でした。放浪から定着へ。その最大の理由は、山あいの町で両親が経営するガソリンスタンドでした。「そろそろ家を継がなくちゃ」。サワダはそう思ったのです。
地元の高校を出て東京の普通の大学を出たけれど、就職する気になれず、写 真の専門学校に通いました。気がつくとカメラマンとして仕事を始めている自分がいました。そして30歳。サワダはインドへ向かったのです。
インドはすべてが魅力にあふれていました。夢中でシャッターを切ると、そこには必ず雲がありました。その時々で色やかたちを変化させ、表情豊かに移動する雲。そんな雲たちを見るたびに、サワダは心の中でつぶやくのです。
「雲のよ うになりたい」。
サワダが生まれ育ったのは、いわき市田人町旅人(たびゅうど)字糸沢。森の中でカレー屋を営みながらインドを近く感じ、「行儀のいい老人になりたい」と思っています。
森のはなし
マサカツは、田人の奥深い大きな森のなかに生まれました。お父さんもお祖父さんも、そのまたお祖父さんも大きな森で木を伐り、畑を耕し、暮らしてきました。大人になったマサカツも生まれ育ったその森で生活はしていましたが、「なぜ、こんな森に自分はいるんだ」と、いつも不満でした。
ところが40歳を少し過ぎた5年ほど前から、森への感情は大きく変わりました。「この森に住んでよかった」と思えるようになったのです。きっかけは、田人に移り住んできた芸術家たちでした。彼らと話をするうちに、身近すぎた大切な存在に気づいたのです。
原生林が広がる大きな森を歩くと、生命を感じます。自然の摂理が神秘さを増し、森は日々、表情もにおいも、音も、光も違います。マサカツはファインダーからその微細な表情を見つめ、シャッターを切った瞬間に自然と一体になる感じがします。
時々、マサカツはお気に入りのブナの大木に会いに行きます。まず見上げ、それから寄りかかると、いつでも元気がわいて、人間にはないパワーを感じます。
「森には神様がいる」。遭遇したことはないけれど、森の精霊たちとの会話を弾ませながら、マサカツはそう思うのです。
マサカツは、田人の奥深い大きな森のなかに生まれました。お父さんもお祖父さんも、そのまたお祖父さんも大きな森で木を伐り、畑を耕し、暮らしてきました。大人になったマサカツも生まれ育ったその森で生活はしていましたが、「なぜ、こんな森に自分はいるんだ」と、いつも不満でした。
ところが40歳を少し過ぎた5年ほど前から、森への感情は大きく変わりました。「この森に住んでよかった」と思えるようになったのです。きっかけは、田人に移り住んできた芸術家たちでした。彼らと話をするうちに、身近すぎた大切な存在に気づいたのです。
原生林が広がる大きな森を歩くと、生命を感じます。自然の摂理が神秘さを増し、森は日々、表情もにおいも、音も、光も違います。マサカツはファインダーからその微細な表情を見つめ、シャッターを切った瞬間に自然と一体になる感じがします。
時々、マサカツはお気に入りのブナの大木に会いに行きます。まず見上げ、それから寄りかかると、いつでも元気がわいて、人間にはないパワーを感じます。
「森には神様がいる」。遭遇したことはないけれど、森の精霊たちとの会話を弾ませながら、マサカツはそう思うのです。
遊びのはなし
ジュンイチは映画「スタンド・バイ・ミー」を見るたびに思い出すことがあります。幼いころ、集落の仲間たちと遊んだ遠い日のことです。
一番燃えたのは山の中の基地作りでした。枯れ木やススキを集めてロープでくくりました。その隠れ家は子どもたちの誇りでした。宝物を集めては見せ合い、戦争ごっこをしました。
「夏休みか」。ジュンイチが記憶をたどると、「夏休みの友」をしているグループがいました。どうも午前中のようです。その中に自分もいます。年上の子が年下の子に勉強を教えています。午後からは川遊びです。上級生がまとめて、四時川に連れて行こうとしています。川に着きました。上級生たちは、小さい子たちの行動を監視しながら、ウグイやカジカを突いています。ゴミがなく水がきれいです。
そこまできて、ジュンイチはフゥーと大きな息を吐きました。あのころから四十年近くもたっているのです。「自分が、田人が失ってしまったものって、なんなんだろう」。そう自分に問いかけるとともに、自然の中で遊べなくなった子どもたちの将来を考えざるを得ませんでした。
虹のはなし
内緒の話です。
この夏の終わり、四時のタイムトンネルを抜けた広場に、レインボーステーションが出現します。田人ー植田間を往復する“虹バス”の停留所で、乗客は虹を追いかけてナイトドライブするのです。
考案者のシゲノブは、もう10年ぐらい虹をつくり続けています。最初は光や空気を材料に、目に見えないものを見えるようにしようと思いました。三原色のセロファンを使って、太陽の光で描く試みに挑んだこともあります。虹はある日突然、偶然にシゲノブの目の前に現れました。
水と鏡でつくられた虹はとても美しい。その揺らぎ、鮮やかさ。空気や風、光によって刻々と変化する虹が空間に現れ、消えるのです。原理は違うけれど、物に反射した光を色に変えるプリズムも虹をつくるマシーンです。海の白波や飛行機雲、水面 の波紋など、風景の一部を虹にして新しい風景をつくります。
シゲノブは虹を見るたびいつも感動します。その感動をみんなと共有したくて、いろんな場所で一緒に虹づくりをします。その時、そこに集った人たちだけが見られる虹。あどけないまでの無国籍さに、虹には言葉を超えた表現がある、とシゲノブは思うのです。
夏の終わり、シゲノブは季節はずれのサンタクロースになって、虹をみんなにプレゼントします。それは今と昔、未来をつなぐ虹です。あなたの心に残っている虹は、いつ、どこで見たものですか?