

ルドンとヒビノ |
2025年5月4日午前7時7分、フランスフォンフロワット修道院図書室に今来ています。今日は土曜日、今週の日曜日から修道院に来ました。そして月曜日からこの図書室にあるルドンの大作「昼と夜」が設置してあるこの図書室で、制作を始めました。2m×6mの大きな絵が三枚が壁面にあります。部屋の床面を使い、同じサイズの紙を広げて床で制作をしました。その気持ちを今書き留めておきたいと思います。ここで行われたことが一体何だったのか? この週間の気持ちを今まとめておきたいと思います。
ルドンの絵を間近で画面に顔がくっつくくらい、見ていると、そこに見えるのは彼の筆さばき、絵の具の付け方、動きリズム、筆順、重ね方、力の入れ方、まさにそこに彼の時間の全て記録されています。彼のリアルなプロセスのアーカイブはこの部屋中にそのまま残っています。作品がここで描かれたということが、その強さを担保しています。この空間で、この修道院で、この地域で描かれ、周りの環境も一つになってこの絵画がここに存在しています。
その位置関係、環境は何一つずれることなく、ぶれることなく、進むことなくここに焦点を絞り込んでおり、1㎜もずれることもなくここにあり続けています。ゆえにそのルドンが描いたもののプロセスの強さも増しています。それは鑑賞者にとっては、とてもとてもありがたいことであり、美術館で見るものとは全く違うものとなります。
が、しかし絵描きにとって表現者にとってはその強さはとても感染力が強く、その強い感染力、電波力、のような強さを浴びた体で描くしかなくなります。結果、何になるかと言うとルドンを追いかけ続けることになってしまいます。それが感染力から自身を守るためのVRゴーグルだったのかもしれません。
今、図書室の中にルドンが描いた昼と夜、そして私が描いた昼と夜が共存しています。これは今ここでしかありえない、もう2度とありえない瞬間のような気がします。この空間から生み出された2つの作品が今ここにあります。この空間を主語にして言えば、この作品は兄弟となる作品とも言えるでしょう。100年以上の時間を過ごし2つの絵が生まれました。
制作者の役割と言うのは、社会の現象を自分の体を通して外在化し、社会に伝えていくという大きな役割があります。時代の流れの中で何が起こっているのかということを、後々の人たちに伝える役割があります。そんなことを考えています。(5月7日の日比野の口述自動筆記から一部抜粋)
(アーティスト)
過去の記事はこちらで閲覧できます。