日比野克彦の部屋

舞台は観客と一体感があって成立する

コロナ禍での「赤鬼」

 野田秀樹作演出の「赤鬼」が、東京芸術劇場で7月から8月にかけて再演された。初演は1996年。私は美術・衣装を担当した。
 話は、ある漁村に、顔が赤くて言葉が通じない、得体の知れない者が流れ着くところから始まる。初演前年の1995年(平成7)には阪神大震災があり、3月には地下鉄サリン事件があった。世紀末を迎え、何やら胸騒ぎをしながら過ごしていたころだった。そんな中での赤鬼は、人と人とのコミュニティーのあり方が、テーマになっていたような気がする。
 2020年においては、日本全体が社会包摂や多様性のある社会をめざすという意識になっており、観客のだれもが人間社会のあり方を日常の中で問うことになっているが、手を握り合うことさえできない現状がある。
 芝居は生き物である。生身の人間がライブで演じるのであるから、当然と言えば当然であり、観客もどのような日々を暮らしているかで、受け止め方が変わってくる。赤鬼はこれまで何度も再演されてきた。国内だけでなく、バンコク、ロンドン、ソウルでも上演され、そのお国柄、民族性によって、評判はまったく変わる。
 今回の再演初日は2020年7月24日で、東京オリンピックがあれば開会式当日であり、インバウンド大歓迎の状況下で初日を迎えるはずであった。が、しかし…。客席に囲まれた四角い舞台にはビニールで仕切るという装置が追加され、間引かれたソーシャルディスタンスの席が用意されての幕開けとなった。そんな状況で見る赤鬼は、これまでとはまた違ったものがあった。
 舞台周りに座っている他者から距離を置かれている客が、世間から嫌われているよそ者のようにさえ見える。口を塞がれた観客のマスクが、暗闇に浮かび上がっている。舞台は観客と一体感があって成立する。客席も装置の一部なのである。約6m×8mの舞台を18人の役者が動き回り、130人の村人が見守る…。

(アーティスト)

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