日比野克彦の部屋

 

母親キュレーション

 2025年2月8日、岐阜の実家の倉庫を整理していると、段ボール箱に「小学校の頃・克彦油、くつ」と書かれた箱が見つかった。中を開けると私の小学4、5年生の時に描いた油絵が4枚と、図工の時間で作った木版画と算数、国語のテスト用紙などが入っていた。「よくとってあったね」と言いながら一緒にそれを発見したのは、水戸の学芸員の竹久さん。竹久さんも小学生の子供を持つ母であり、この夏に水戸芸術館で開催予定の日比野克彦の展覧会の担当者でもある。竹久さんと展覧会の方向性を話す中で「お母さんキュレーション」という言葉が出てきた。この言葉の意味とするところは?

 岐阜の倉庫に作品があるのは、私が東京で制作すると自動的に、どんどん岐阜の実家宛に送っていたからで、「作品の返却先は岐阜でお願いします」がお決まりのパターンであった。80年代に東京で制作活動を始めて、展覧会以外にも広告メディアとか雑誌の表紙とかイラストレーションとかの活動をして、作品をアトリエで仕上げると、撮影、展示をした後に、岐阜の実家に送って保管してもらっていた。その管理・保管を母親がしていたということになる。
 画用紙のような紙に書いてある作品などは、きっと普通郵便で編集部や制作会社などから直接送られては、ファイルに収めたり、段ボールの平面、立体作品などは専用のケースを作ったりして保管する。その中で母が気に入った作品があると額装して実家の部屋に飾ったりしていたのだが、中には複数の絵を組み合わせてアレンジしたりもしていた。その関係を竹久さんは「お母さんキュレーション」と呼んでいる。母からみるときっと、東京から送られてくる作品も幼い頃の作品の延長線上にある、ということだったのだろう…。
 時々取材で「日比野さんはいつから絵を描き始めましたか?」と聞かれることがある。そんなときは「絵は誰しも小さい時に描くし…。私はやめなかっただけかな」と答えている。私自身も、絵を描き始めた頃からの延長線上での今の制作なのかなと思っている。

 水戸での展覧会は今年の七月から始まります。どんな展覧会になるのか是非みなさん楽しみにしていてください。

  

                                     (アーティスト)


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