日比野克彦の部屋

 

振れて動く

 

 じっとしている様だが、実は気持ちは動いている。気落ちしているが、とりあえず散歩している。このふたつは一見とは違って実は、同じ類の対比的な言い回しといえる。そして大事なのは、どちらもどこかが動いているということなのである。
 気持ちも体も動いていない時は、必要である。寝ている時がそんな感じ? もしくは、何も考えずにボーとしている時間…? 寝たまんまだとそれは死にツナがっていく? ボーとしたまんまがいつまでも続くと、それも死んだも同然的な時間の過ごし方になってしまう恐れがある? どこかが動いてさえいればそれは死んではいない、つまり生きていることになる。生きるということはどこかが動いていること…?
 どこかが動いている人間同士は共鳴し合い、一緒に動いたりする可能性がある。行動を起こしたり、共感を互いにもたらしたりし、そのアクション、その波動は伝播していく。大きな動きになったのちには縮小し始めるのが世の常であり、運動法則として理にかなっている。動きは渦になって自転を始めたり、駒の様に軸をずらしながら、あっちこっちに予想もできないくらい不規則に動き回ったりする。
 チームラボのボーダレスミュージアムが東京麻布台ヒルズにオープンした。自然は絶えず動いている。気流、海流、地形、光、そして生命体の命…。そんな中で、全てのものは存在している。互いに影響をし合いながら存在している。ボーダレスミュージアムでは、訪れた観客にも反応しながら、ミュージアムの全ての現象が境界線なく関係性を生みつつ存在している。
 波に見える映像も、互いに影響をし合うアルゴリズムのもとに生成されている。そのアルゴリズムは人間が認識する波の形(北斎)などをもとにして導き出したものであるらしい。すべてのものの存在は人間の認識の中にしかあり得ない…?
 人間が認識できるものとして、五感というデバイスがある。音と光と触覚と嗅覚と味覚。その中で視覚と聴覚という現代社会の日常の中で頻繁に使用されている2つのものの共通項は、振動であると、ある人からあらためて聞いた。音は空気の振動である。そして光も振動である。振動(動いている)という共通項を聾者と聴者が共有できるデバイスがあれば、これまでにはない、新たな文化と出合える様な気がする。

                                     (アーティスト)


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