日比野克彦の部屋

アトリエ保存

 2021年8月、私が1985年からアトリエ兼オフィスとして使っていた東京渋谷のマンションが、老朽化で建て直すために引っ越しをすることになった。多くの作品をこの部屋で制作し、多くの人が仕事の打ち合わせや取材でこの部屋を訪れた。部屋の床や、アトリエの作業テーブルには、絵の具の跡などさまざまな痕跡が残っている。
 私がこの部屋に入った時はすでに築20年の物件で、2LDKをワンルームに造りかえた。ニューヨークのソーホーのロフトのような雰囲気を目指し、天井や壁の内装材を剥がして、コンクリートの肌をむき出しにした。床はフローリングにして自分でペンキを塗った。部屋には画材、道具、紙などの素材をはじめ、旅先で買ったもの、友人からもらったものなどなど、この35年間の品々が、綺麗に言えば歴史博物館のように、しかしある部分は永久凍土のように、とてつもない数々で埋まっている。引っ越しの期限が迫ってきて、半年ほど前から片付けようと少し手をつけては、1つ1つの物を眺めて時間が過ぎていった。
 そんな中、まずは確実に整理しなくてはならないのが、作品の写真などの記録類である。実際の作品はこの部屋で制作し、展示などが終わるとここには戻ってはこない。しかし作品写真のポジフィルム、映像のビデオテープ、35ミリフィルム、そして作品記事が書かれた掲載誌の切り抜き、仕事関連の書類ファイル、さらに記録手段がコンピューターになってからのCDROM、ハードディスクなどが保存されて残っている。これらは客観的に言えば「80年代から現在に至るまでのアートの変遷が一望できる資料」とも言える。
 私の制作活動は、社会の中でのアートと人の関係性を主題にしている。80年代の経済成長時代における広告、流通企業、メディア業界との活動、90年代の社会価値変動期における問題提起型活動、2000年代の環境への意識高揚、そして地方創生におけるアートプロジェクト的活動、2010年代の社会包摂を目指すダイバーシティー的な活動。そうした流れの全てが、このアトリエで行われてきたことを考えると、これらの記録資料は地層をボーリングしたサンプリングのようなものにも見えてくる。
 この35年の間に社会は大きく変わった。そしてこのマンションがある渋谷の街も今まさに大きく変わろうとしている。私の活動から生まれた作品は、社会の移り変わりとともに、つまり渋谷の街の変容とともに生まれてきたとも言える。そんな時に東京藝大の文化資源保存修復センターの人から声がかかった。「作品を保存するだけでなく、作品が生まれてきた背景も保存することに挑戦したいので、アトリエの保存を考えてみたいのですが…」と。

(次回につづく=アーティスト)

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