アート感覚の時間 |
2022年という年がどうもピンとこない。2020年の影響がまだ色濃く残っているが故に、2022年の独自性がない。2021年はもっと印象が薄く、ほとんど2020年であったという記憶になっている。2020年の次の年は2020年その2、その次の年は2020年その3、そんな感じである。このイメージはしばらく続くであろう。きっと来年は2020年その4という2020年になり、その10の2029年まで続き、2030年になって、やっと年が変わるくらいのイメージになる。
この要因はコロナもあるけど、様々な社会問題がなんとなく10年単位レベルで変革していかなくてはならない、課題が多い世の中であるからのような気がする。経済急成長の時代においては、オリンピックの4年に1度が遠く感じていたが、今や頻繁というくらいのサイクルになっている(ちょっとイレギュラーにもなったし)。しかし人の年齢は、今も昔も10歳を重ねれば、10代は20代になり、50代は60代になる。
同じ10年でも自分の年齢によって、10年の中の1年の長さの感じ方はきっと違うだろう。1年の速さどころか、小さい頃(4、5歳)は1日が長かったし、明日は何が起こるかはわからなかった。少しずつ、先の計画を持つようになり、7歳くらいになって時間割表が与えられると1週間先がわかり、10歳ぐらいになると1月先が、12歳くらいになると1年先がイメージできるようになっていく。(これは私の感覚であって。今の10代の人たちはもっと早くなっているような気がしますが・・)
みんなが同じ時間の中で生きていかなくてはならなというのも、どうにかなる時代が来るのだろうか。「今年は3年かけて1年をすごしていきたい」「この3年を1年で進めていきたい」という、自分で今年の進め方を変えられる時間の中、みんなで過ごすという社会。難しいことがたくさんありそうだけれど、今までになかった心地よさも、ありそうな気がする。
自分と同じような時間で過ごしたい人は、世界中のどこかには必ずいる。絶対いる。だからその人と連絡が取れれば、そこに社会が生まれる。また、1人の人間にだって、色々な時間の進め方を1年の中でしたくなれば、その都度、その時間と同じようなスピードの時間の人と巡り会えるようになれれば、1年の時間が1年の中で伸び縮みする。
「何を日比野は言っているのだ」とお思いの方々、実はアートの感覚の時間はこんなようなものなんです。
(書き始めてから・・・感覚では12分45秒=アーティスト)