

土地と種 |
「土地に縛られる」「土地に育まれる」「土地を離れる」「土地に根付く」これらの言葉の中での「土地」とは、物理的な不動産的な土地を意味する。人間を植物として例えてみると、この表現はよくわかる。植物は土に根を張り、自由に移動することは出来ないけれど、その土地の環境によって育っていき、その時の環境に時間をかけて馴染んでいく。しかし植物から生まれた種は、その土地から別の環境へと移りやすいように工夫されており、土地から離れていく。
コロナ禍でこの2年間、土地に縛られ日本列島に縛られていた私は、3年ぶりに日本という土地から離れた。土地に馴染みすぎる(馴染まされてしまった? 馴染まざるをえない?)と出不精になるというのはまんざら外れてはいないような気もした。知らないところに行くわけでもなく、過去に何度も行ったことがある場所なのだが、ちょっと面倒な気分にもなっていた。
しかしやはり予想通り、土地を離れて土地を見るのは成長するうえでとても大切なことである、ということを感じた。3年間寝かされたゆえに、その落差を感じるセンサーが敏感になっていて、なおさらだったのだと思う。
それを感じさせてくれたのには、もうひとつ大きな要因がある。それは私が植物の「種」とともに日本という土地を離れ、その種の話を海を隔てて離れた人たちにしたからであった。その種の名は「明後日朝顔プロジェクトの種」。話した場所はドイツ、カッセルで行われている現代美術展「ドクメンタ15」のruruHausという拠点であった。
ruruHausとは、このドクメンタ15の芸術監督を努めるインドネシアのアートコレクティブ「ルアンルパ」が社会・地域とのつながりの活動を共有・発信する場所としてカッセルの中心街に設けた象徴的な場所。今回のドクメンタ15のテーマ「LUMBURG(ルンブン)」とはインドネシア語で「米倉」を意味し、地域の共同体の互助の社会性が社会の課題に関わっていく活動がテーマとなっている。
「種が土地を離れて、土地のつながりを教えてくれる」。そんな実感をそして、アートのあらたなる社会的な役割の姿を、異国の土地で感じている。
(アーティスト)