235:14歳の自分

 

よく知らない土地で日が暮れてから船に乗る

14歳の自分

 中学生の頃のなんでもない日の自分が社会をどんな見方をしていたのかを思いだすために、よく知らない土地で、日が暮れてから船に乗り、少し大きな町の港についたら、川沿いに夜道を10分くらい歩き、美術館の前にある駅から電車に乗り、ゆらゆらと揺られながら、もう少し大きな駅に向かう。
 電車の中から車窓に映る見慣れた自分の顔を見ながら、今日のことをまずは振り返る。よく知らない土地に行くために、小さな船に半日乗って、時折大きな船の引き波に身を構えながら、遠くの陸を見つめる。この船が進んでいるのかいないのかはわからなくなった時には、船の脇に目をやると、白い水しぶきが水面に立っている。「進んでいるみたいだ」と思いながらも、どれだけの深さがあるのかは見えていないし、わかるすべもない。
 一番なんでもない日常のころのことを思い出すのには今は必要な時間なのである。車窓に映る自分の顔は中学生の顔になっていた。電車の揺れは、今でも船に乗っているかのような陸酔いになっている。何になろうなんて何も考えていないし、どこに行こうかなんて何も決めていないし、あの頃の自分は今の自分の中にもい続けているような気になった時に「中学生の頃のなんでもない日の自分」にたどり着く。
 その次に、その自分がじゃあ、社会をどんな見方をしていたのかを探るために、その領域の領海に大きく息をして深く潜り始める。陸酔いしている身体はちょうどいいコンディションだ。電車はすでにもう少し大きな町の駅に着き、陸酔いしている身体は乗り物にならなくても、自分を静かな一人になれる場所に運んでいてくれていた。水深10、水深20、水深30、水深40、水深50とナビゲーターマシンがカウントしている。
 14歳の自分に出会えているのかいないのか、でも、いまのこの感覚はなんとなくあのころの感覚のような気がするのです。そして、小さな船に木箱を積み込んだ時に木の端切れが指に刺さって痛いのです。

(アーティスト)