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作品を残す

 

      1992年にパリから北京を車で走破するラリーが開催された。そこに参加した車が岐阜県中津川市にあった。その車には私のペイントが施されていた。車が私の作品として保管されていたのだ。驚くことに車内にはその時ユーラシア大陸の道なき道を走ってきた際に舞い込んできたであろう砂とか、土がそのまま残っている。掃除していないのではなく、過激な大陸を激走してきた記憶として、残してあるのです。
 1988年に名古屋市のバーのために制作した全長10mの木製の彫刻作品があった。この彫刻作品はテーブルとしてお店では使用されていた。彫刻はウロボロスと呼ばれ、店の名前にもなっていた。ウロボロスは店内で製作されたために、閉店する際にビルのドアから出すには切断しなくてはならなかった。ウロボロスの第2の人生は六本木の店に移転され、再度組み立てられたが、その店も閉じられた際には、再び切断し第3の人生として岐阜市中津川に設置された。
 私はこの作品らと再会しに中津川市を訪ねた。作家としてはどちらの作品も残していくことが前提で制作しているかといえば、そうではなかったような気がする。そうではないが故に再会できた時の感覚は嬉しいような、申し訳ないような、しかし、この作品を今後どのように保存していくことを考えることが、重要なことであることを教えてくれた再会の時間でもあった。
 「何を残すのか? 何を伝えるのか? なくなっていくことをなくさないようにすることにどのような役割があるのか? 朽ちていくことの速度を操作することにどのような必然性があるのか?」―この問いを中津川の人たちと考えてみたい。
 この2つの作品を所持している場所に、もう1つ私の作品がある。その作品はダンボールに描いた1996年の作品で額縁に入って、大きなホールの壁に設置されている。これは、いわゆる世の中で言うところの「作品をコレクションしている」という類のものになる。この作品とラリーカーとウロボロスは、どれも私の作品なのです。

(アーティスト)