250:250回目のコラム

 

250回目のコラム

 

 アルゼンチンのブエノスアイレス市の郊外にある「自由の風」という施設を訪ねて、そこの利用者たちと一緒に料理をつくり、テーブルをつくり、食事をした。その様子をブエノスアイレスを拠点に世界30カ国で開催されているビエンナーレスールで発表した。
 12月4日の開幕日には「自由の風」の人たちが展覧会場に訪れて、自分たちの日常が表現になっていることに戸惑いを感じながらも驚きと喜びと、少しの自信につながったようだ。彼らが展覧会を見終わったあとに感想を述べ合う場があった。そこでは次のような内容が話されていた。
 「今までは誰も自分の存在を認めてくれなかった。まるでこの世にいないかのように扱われていた。しかし、今日は違った、確かに私はそこにいた。私は透明人間ではなかった…」
 自由の風を利用している人たちは、過去に貧困・家庭環境が起因となり、ドラッグ・アルコール依存が原因で社会に適応できなくなり、自然豊かな環境の中で自給自足をしながら共同生活をし、社会復帰を目指している人たち。総勢30名の成人男性、リーダーはこの施設を卒業した人が担っている。
 畑で野菜をつくり、木材を製材して家を建て、かまどでパンを焼いている。ビエンナーレスールに私が参加するのは3回目で、いずれも「TURN PROJECT」として南米アルゼンチン、ペルー、エクアドルで展開してきた。社会的課題をアートで取り組むプロジェクトである。国が変われば社会の課題が違うものもあれば、そうでない共通な課題もある。時代が変われば人間の知恵で解決する課題もあるけれども、どれだけ科学が発達しても解決できないものもある。
 この「日々の新聞」に私がエッセイを書き始めてこの回で250回を迎えた。日々の新聞のタイトルのきっかけになったのは、私がいわき市立美術館で2001年に個展「HIBINO DATE ON OUR TIMES」を開催し、新聞形式の紹介パンフレットの名前が「日々の新聞」だったのだと記憶している。あれから23年…。世の中は変わったのだろうか? 変わっていないのだろうか?
 そのときにボランティアの手で発行された「日々の新聞」の裏一面には9・11の記事が掲載されている。2001年9月12日に美術館の前で公開制作した絵とともに「沈まない太陽はない、太陽は必ず沈む、しかし、必ずまた出ずる…」という内容の詩を書いたと記憶はしているけれど…もし違っていたら、それは時代のせいなのかもしれない。(アーティスト)