

震災とアート |
1月1日に能登震災が起こった。奥能登芸術祭が開催され、多くのアーティストたちが滞在制作をした珠洲市も多大な被害を受けた。人命救助、避難所、ライフラインの確保、支援物資が先行活動として行われていく。
1995の年の阪神淡路大震災、2004年の新潟中越地震、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震と、災害の体験を重ねるごとに災害時に展開される復興活動の時系列を見通す経験値が否応なくできてくる。人命第一、生活確保の活動の、その先には芸術アートの活動が被災地に入る時期がこの後やってくる。私もそれぞれの災害時で被災地に赴いたが、その活動目的が少しずつ違ってきていた。
1995年の際には、神戸に住む知人のアーティストの活動を支援に入る(個人と個人)。2004年には、画材を企業や小売店から集めてハイエースに積み込み、アーティスト仲間とともに現地にいる知り合いの市役所職員を頼りに避難所を訪ねて画材を配ったり、子どもたちと一緒に絵を描いたりした(仲間と仲間)。
2011年にはハートマークビューイングというアートプロジェクトを立ち上げて、被災地に行こうと思っても行けない人々の思いを生地を使って思い思いのハートをつくり、それを集めて一つの大きなタペストリーにして、避難所に届けるという活動を行った(不特定の人々の気持ちと複数の被災地)。2016年の熊本では避難所での段ボールベッドの手配の補助とそれを彩る活動と美術館での「ライフラインとしてのアート」というシンポジウムを開催して地域活動を今でも継続している(継続的地域活動)。
そして能登での活動を今まさに検討中です。奥能登芸術祭に参加したアーティストたちは今、いつどのように現地に入るかを考えているだろう。その支援をすること、そして継続的に活動できる体制をつくること…。
昨年開催された奥能登芸術祭のプロデューサーである北川フラムさんと今日話すことができた。地域で芸術祭を行ったことよって、コミュニティーをあらためて築く、強化するきっかけになり、この災害時の非日常においては、そのことが互いに助けあい、協力し合う上で一片の力になったのではないなどの話をしながらも、行政との連絡をし合っている最中で、生きる力としてのアートの役割をしっかりと発揮していきたいと考えています。 2024年1月9日
(アーティスト)