

| 展覧会のこと |
水戸芸術館での7月19日から10月5日までの展覧会「ひとり橋の上に立ってから、誰かと舟を繰り出すまで」は、不思議な展覧会になりそうだ。展覧会があと2週間と差し迫っているのだが、私はわりとこの展覧会に関してはやることがない。期間中に公開制作はあるが、新作の展示はない。何がざわついているかというと私の周辺が、私の過去の記憶が揺れ動かされている。物として作品ではなく、その作品を生み出した当時の私の心境とか、周囲の親しい人たちの声とか社会状況などが、この展覧会がフューチャーしているところである。最後の展示室は作品が生み出されるアトリエの状況を見せるということで、7月2日には私の自宅と藝大学長室から身の周りの品々を美術館に搬出した。
1985年設立のヒビノスペシャルという名の私のアトリエオフィスは渋谷のマンションの一室にあったが、建て替え工事で3年間、機能も物も分散している状態である。長年代々引き継いできたアシスタントも今は途絶えている。作品のアーカイブ、周辺資料の整理などの課題が、宿題が、先延ばしになっている今日この頃である…。
そんな中でもうひとつ展覧会が始まる。それは東京国立近代美術館での収蔵作品展での展示である。7月15日から10月26日まで「記憶をひらく、記憶をつむぐ」展の中でジャンクとポップという括りで新収蔵された私の80年代の段ボール立体作品4点と(プレゼントボックス、エレキギター、カレンダー、エアプレイン)平面作品2点(1点はパルコのポスターに使用された作品で、ポスターも展示)と東鳩ビスクギャラリーの缶とコニカビデオテープのコマーシャル映像が展示される。
昨日、設営中の近代美術館に行って、エレキギターのギタースタンドを作ってきた。針金で作ったものがあったのだが、それは撮影用に数時間は持つが、数カ月は怪しかったので、新たに作ってはどうかと横山学芸員からの依頼で制作をした。なんかこれも不思議な感じであった。40年前の時間がそのまま今接続してしまった感じであった。今さっきこのエレキギターを作った感覚になった。
7月13日までは岐阜県美術館「アートまるケット 脳はダマせても、身体はダマされなう」でも作品を展示していた。こちらは五月にフランスでレジデンスアーチストとして制作してきた、ルドンへのオマージュ的な作品である。
作品を制作し続けるということは、作品に対して責任を持ち続けて行くとともに、過去の作品と今の作品をこの作品を生み出すことに関係したすべての人々を巻き込みながら、作品を通して時代を、社会を、人間の思考を評価するということ、または鑑賞する者にその感覚を提供し、未来に対してのイメージする力を授けるきっかっけをつくることでもあるような気がする。
(アーティスト)
