紙面を読んで From Ombudsman | 466号 |
根本 敦子
私は常磐湯本町の出身。高校卒業後上京し現在に至っている。いわき市から届く月2回の新聞。今号のテーマは、どなたが書いておられるのか、あの土地は、人は、今はどうなっているのかと、私にとっては「ふるさとパック」が届いたようなワクワク感がある。
さて、あの日3.11から、ほぼ毎月のようにいわき市に通うようになった。というのは、ご縁があって、三和町上三坂にある三代続いた石川医院の家屋敷地を引き継ぐことになり、募金活動を行っていた高校の仲間・有志三名で社団法人を立ち上げ、そこを拠点に活動を始めたからである。
石川家より渡された書類の中に、いわき民報の古い新聞記事を束ねたものがあった。「あぶくまの里から-上三坂の四季」(1996年1月12日から12月28日まで50回の連載で、書き手は安竜昌弘記者)。特に、石川医院についての3回は食い入るように何度も読み込んだ。
ルーツは茨城県。初代は水戸天狗党に加わった青年であった。二代目を進学させ、医師となって戻る頃に、立派な土蔵造りの診療所を建てて出迎えた町民。石川医院の歴史は、同時に、この町の人々の命を守る場所、その圧倒的な存在に驚きと感動、勇気づけられた。
2011年当時、私たちは東京で集まっては、泣いたり悲しんだり、どうしようもない状態だった。
「泣くのはどこでもできるよね。出身者の私たちにできることって何。いわきに行こう!」
今考えるとなんとも無謀で計画性のない行動、ある種の興奮状態にあったのだと思う。しかし止まらない、止められない。ただ、いざ行動してみると、不思議とタイミングよく、多くの方々に助けられるのだった。そのお一人が安竜さんだ。ここから「日々の新聞」を通してのお付き合いが始まる。
(一般社団法人OJONCO 代表理事、東京都国立市在住)
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