| 紙面を読んで From Ombudsman | 548号 |

気賀沢 忠文
明けましておめでとうございます。
読者の皆様にとって、新しい年が良い年であることをお祈りいたします。
ところで私にとってこの2年間は、舘野泉さんとインド・ブータン・ネパールを旅したことが契機となって、多くの方々と関わりを持つという貴重な経験をした時間でした。
舘野泉ファンクラブの依頼で書いた紀行文は多くの方々が興味を持って読んでくれました。「日々の新聞」では「ストリートオルガン」で取り上げていただき、亡き芙美子と私の所属するカトリック磯子教会では「月刊磯子ニュース」の2025年12月号と2026年1月号の2回に分けて全文を掲載してくれる予定です。
紀行文を書き上げて一息ついたころ、懸案の「左手の文庫」への寄付を妻と私の連名で行いました。昨年の9月の初め、フィンランドに帰国する前に親しい方々がご自宅で暑気払いをするので来ないか、と舘野さんからお誘いを受けました。そして、会の始まる前の1時間は舘野さん、朗読をする元田牧子さん、そして私の3人で話をする時間を設けてあるのでよろしく、とのことでした。
突然のお誘いにびっくりしました。どんな話をして良いのか見当がつきませんでしたが、もしこの場で賢治や夜の森の桜の話が出来れば何と光栄なことだろう、と思いました。
話の初めに舘野さんは、左手の文庫で委嘱した曲はすでに130曲もあって自分では管理しきれないので、この辺で終わりにしようと思っていたが、これで終わりにしてはいけないと思い直して、早速新しい曲を委嘱したという趣旨の話をされました。それから舘野さんと元田さんは新しい曲「花たんご」の演奏について打ち合わせをしていました。
終わったのを見計らって、私は持参した写真集『宮沢賢治の世界』を紐解きながら、しばらく賢治について話をしました。そして「最愛の妻を亡くした私の慟哭は『永訣の朝』の賢治の慟哭と同質ものだ。その時に舘野さんの弾く『KENJI』を聴いてその美しさに心打たれ、深く慰められた」と告白しました。
ちょうど1時間経って懇親会が始まりました。和やかな暑気払いでした。
10月末のゆめハットの舘野さんの演奏会では「KENJI」が演奏されると聞き、駆けつけました。この時は舘野さんと元田さんに賢治の話をした後でしたから、ピアノと言葉が織りなす賢治の世界を私の体全身が感受体となって、確実に受け止めることができたと思いました。この様子は大越さんの「ストリートオルガン」(2025・12・15号)で感動的に紹介されています。
さて、このように私は舘野さんの芸術・音楽・ピアノへの愛、そして強靭な精神力と気さくなお人柄を目の当たりにしました。そして舘野さんの音楽を愛する多くの方々との交流が始まりました。この経験は深い鬱の底に沈んでいた私を、日の当たる世界に引きずり出してくれる大きな力となりました。感謝です。
最後になりますが、舘野さんにはこれからも末永く、命尽きるまでピアノを弾き続けて欲しいと思います。この1月に82歳になる私には同じ1月に3歳になる孫娘がいます。どうしても20歳の成人した姿を見届けたいと思うのですが、それには百歳まで生きる必要があります。
今や人生百年の時代と言われます。読者の皆さんも舘野さんの「絶望している暇はないという超前向きの人生訓」を座右の銘にして何としても生きましょう。100百歳まで。
(ネパールの農民を支援するNPOラブ・グリーン・ジャパン理事長)
そのほかの過去の記事はこちらで見られます。
