omb563号

 紙面を読んで From Ombudsman563 

 

画・松本 令子

 

 上野 太朗

 朝晩、お経を口にし、時に仏典を開く。普段から仏教の教えを思考の拠り所にしている僕には、とりわけ大切にしている言葉がある。「明珠在掌」。求めている宝ものはどこか遠くではなく、すでに自分自身の手の中にあるという意味だ。そんな僕にとって、第561号の「中世のいわき」特集は、この言葉を実感する出来事だった。「日々の新聞」がいわきを飛び出し、僕の暮らす神奈川県は金沢文庫まで足を運んで丁寧に追ったのは、長福寺の御本尊、延命地蔵菩薩像をめぐる物語である。
 思ってもみない形でのいわきとの繋がりに驚きつつ紙面を繰ると、東日本大震災による修復を機に、像の体内から鎌倉時代の人々が遺した手紙が無数に現れたとあった。そこに記されていたのは、家族の病の快復を願う切実な思いや、武士の屋敷に暮らす女性が日常の中で綴った便り、また当時のレシピなど。震災という現代の苦難がきっかけとなり、800年前に生きた人々の営みや、誰かの痛みに寄り添おうとした「慈悲」の営みが鮮やかに顕わになったのだ。
 時を超えて明かされたこれらの痕跡は、決して過去の遺物ではない。病や葛藤と向き合いながら今日を生きる、僕たちが抱く感情そのものと地続きなのだなあと思いを馳せる。もっと言えば、今こうして僕たちが存在していること自体が、無数の「縁」という目に見えない繋がりの上に生かされている「おかげさま」なのだと深く実感させられる。
 かけがえのない宝や慈悲の心は、遠くを捜し求めずとも、いま・ここにある自らの手の中にすでに与えられている――。それはどこか、身近な日常や声なき声にそっと光を当てる「日々の新聞」の紙面隅々から滲む温かな眼差しとも、深く響き合っているように思える。紙面が教えてくれたこの気づきを胸に、僕もまた、目の前の仕事や暮らしの中で誰かの苦しみに静かに寄り添う実践を、手元からひとつずつ重ねていきたい。

(株式会社nino代表取締役)



 

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