436号

 菅首相はなぜ、この時期に海洋放出という方針を発表したのでしょうか。秋に行われるという任期満了の衆議院選挙まで時間があるから?  オリンピックの前に決着させたかった?…。昨年10月の方針発表延期のあと、一つでも良い解決方法が見つかったというならともかく、幾重にも疑問と怒りが湧いて、やりきれない思いです。わたしたちは「もうこれ以上、放射能汚染を広げたくない」という思いで、ずっと叫んできたのです。
 一番納得いかないのは、海に流される水がデブリ(溶けた核燃料)に接したものであることを言わず、「稼働中の原発からもトリチウムは流れているのに、なんでそんなに騒ぐんだ」という方向に持って行かれてしまうことです。「健康に影響がない」と言い切ってしまうことだって、時間が経過しなければわからないことだし、健康に影響が出たとしても、それが原発のせいだと証明するのは、とても難しいわけです。
 この問題を報道するマスコミもさまざまです。タンクの中の水がデブリに触れたもので、ALPSを通して濾過してもトリチウム以外の放射性物質が残ることを、きちんと伝えているところがあるかと思えば、トリチウムを含んだ処理水としか報道していないところもあります。
 でも現実的には、より多くの人が見るNHKの7時のニュースなどで伝えないと、みんなは信用せず、大変なことだと思わないわけです。復興庁がつくったゆるキャラ「トリチウム君」が物議を醸しましたが、政府はさまざまな刷り込みにかなりお金を使っています。高校生に「科学的な根拠もなしに心配するのはおかしいです」って言われてしまうと、あらためて「科学的って何」と考えます。言葉がバラバラにされて違う言葉になってしまうような危うさを感じながら、メディアリテラシー(情報を見極める能力)の必要性を痛感しています。
 原発事故のあと「あんな事故があったんだから世界中は怯えて原発をやめるでしょう。ドイツみたいに」と思っていました。でも実際は違い、日本の原発は残りました。わたしたちは、のんきでした。そして、この10年、何と闘ってきたのだろうと思います。事故の記憶はどんどん風化し、「原発は当然なくなるはず」と思わない勢力との闘いが、さらに大変になっています。
 政府は、放射能が目に見えないこと、高線量でないとその影響について確かなことを言えないことを利用して「人を戻せます」「復興できます」と各自治体に言ってきました。そして実態をごまかす、風評という言葉とその対策です。そうした、その場しのぎのやり方をあらためてもらいたいのです。言いづらいのですが「ここはもう住めない」と思っている人は多いはずです。その一方で「安心したい」「たいしたことない」という人間の正常性バイアスが本質を覆い隠しているのも、事実だと思います。
 漁業者はもちろん、県民も「流してもらいたくない」という意見が多いのに、はっきり「反対」と言えない知事に首をかしげてしまいます。中央の政治も海洋放出問題だけでなく、オリンピックありきのコロナ対策など、不信感だらけです。ですから、汚染水を海に流すことについて国や東電が全面的に責任を負うなど、だれが信じられるでしょう。ここは子どもや孫たちのために頑張らなければなりません。