468号

オリガさんのこと 468号

 

    二本松市の農家の離れで暮らしている、ウクライナ人のルヴァン・オリガさんが7月末、いわきを訪れた。オリガさんは4月に政府専用機で日本に避難し、放射線衛生学者の木村真三さんなどの助けを得て、二本松で農業をしながら生活している。5月末の新聞にオリガさんのインタビュー記事を掲載したので詳細は省略する。
 英語でのインタビューだったため、堪能な吉田勉子さんに通訳を頼み、二本松に同行してもらった。その際に「なにかできることを」と思った勉子さんは、会長を務める心画会の作品展の会場で、会員たちの同意を得て「オリガさんのために」と募金箱を置いた。作品展の最終日、オリガさんが会場にやってきた。
 勉子さんは募金箱を置いた場所に案内し「みんなの気持ちです」と、募金が入った籠のバッグを手渡した。壁には『「いつの日か日本とウクライナの架け橋になりたい」というオリガさんの決意と夢の役に立ちたい』と思いを綴った勉子さんの手書き文章が、たくさんのヒマワリと一緒に貼られていた。
 日本語が少し読めるようになったオリガさんに思いが伝わったのだろう。「ハグしてもいいですか」と聞いて勉子さんを抱きしめ、お礼に畑で育ったキューリやゴーヤ、カボチャ、ナスなどの野菜が入った紙袋を手渡した。
 そのあとオリガさんは展示されていた絵をゆっくり見て、心画会の会員たちと言葉を交わし、勉子さんと積もる話をした。自然体で楽しむオリガさんの姿はその場をやさしくし、また、やさしさに包まれた。
 オリガさんの故郷はウクライナ北部の小さな農村で、ロシアとの国境まで200㎞。一人娘で、農業を営む両親に避難を促しても「何があってもここから離れない」と取り合わないという。8200㎞離れた故郷の状況を心配しながらの日々だが、日本の暮らしにも少しずつ慣れ、気持ちにいくらか余裕もでき明るさを取りもどしている。
 ロシアがウクライナに侵攻して半年が経った。戦争が長期化するなか、私たちができることは、知り合ったウクライナの人々とつながりを深めていくことだ。

(章)

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