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民主主義と平和のコスト考 | 539号 |
日常が、「早い者勝ち」の世界に侵食されている。時間と暮らしが、「便利さ」「迅速さ」に腐食されている。
スーパーで買い物をすれば、「セルフレジ」へと導かれる。モタモタしていると、後ろに買い物客の列ができてしまい、他人に迷惑をかけているような気分にさせられる。レジのスタッフの人と他愛のない雑談をしながら支払いをするという買い物の時間は、もう、ない。
ITだ、AIだ、そして「コスパ(コストパフォーマンス)」だ、「タイパ(タイムパフォーマンス)」だという新しい技術や価値観が、それについていけない人の人間性を置き去りにする。
今、このコラムを書いている理由は、やっぱりこの社会の価値の変容への疑問をどうしても申し立てたいからなのだ。
先日の参院選で初当選した新人議員がコストを計算し、「議長選出だけで200万円の税金」が支払われている点を問題視して発言すると、視聴者から賛否が起きた。議論が起きるのは良いことだ。国民によって選ばれた参議院議員が国民の前で投票することで投票行動が可視化されることは、議会制民主主義の明示でもある。これはひいては主権者である国民の責任を再認識する機会なのだ。民主主義や平和は、コスパやタイパ至上ではなく、不断の努力でしか実現・維持できない、人類の歴史の時間を超える営みであると思うが、読者諸氏はいかがか。
戦後80年のこの夏。変わりゆくもの、変えたくないもの、変わってはいけないものに意識的になってみたい。民主主義って何だ? 平和って何だ? 人間の尊厳や人権と共存できる科学・情報技術は実現できるのか?自らの頭で問い続けた先に、「これだ!」という答えをこの手で掴み取りたい。こりゃ、時間もコストもかかるなあ。
(藍)
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