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いせひでこさんの『にいさん』 | 556号 |
画家で絵本作家のいせひでこさんの絵本『にいさん』(偕成社)は、ゴッホと4歳下の弟のテオの深いきずなを描いている。ゴッホは37年の生涯に七百通近い手紙をテオに宛てて書いている。いせさんはその書簡集を読み、足跡をたどる旅をして、ゴッホにまつわる作品をいくつか手がけ、2008年に『にいさん』の出版にこぎつけた。
初め日常的な報告だったテオ宛ての手紙は、次第に自分の芸術観や生きる苦悩が綴られるようになっていった。いせさんは誠実に生きようとすればするほど、節度のない過剰な人間とみなされて居場所を失っていく生きづらさと、白い画布以外に自分らしく生きられる場所がないという悲痛なゴッホの叫びが伝わってきたという。その姿が宮澤賢治と重なりエッセイ『ふたりのゴッホ』も刊行している。
テオに宛てた手紙は1872年、ゴッホが19歳の時から、亡くなる1890年まで続いた。テオがゴッホを経済的にも、精神的にも支えたのは「画家になる」と決意した1880年から亡くなるまで。毎月の仕送りや画材の提供、画商としてのつながりで作品の橋渡しもした。なにより一番のゴッホの理解者だった。
いせさんは絵本を制作している間、ゴッホの死後にテオがオランダの母に宛てた手紙のなかの「にいさんは、ぼくのすべて、ぼくだけのにいさんだったのです!」の言葉が心にずっとあったという。
ゴッホの死から半年後、テオもこの世を去った。テオの妻のヨハンナ(通称・ヨー)はふたりの墓を並べ「ふたりは生くるにも死ぬるにも離れざりき」と、聖書の言葉を捧げた。それから近現代美術を勉強し、テオの元に遺されたゴッホの作品や手紙文を世に出すことに奔走し、ゴッホが画家として正しく評価されるよう人生を捧げた。
伯父であるゴッホの名前をもらったテオとヨーの息子のフィンセント・ウィレムも、コレクションを散逸させないためにフィンセント・ファン・ゴッホ財団をつくり、美術館の開館に尽力した。
悲運の時、ゴッホとテオは決まって子ども時代に立ち返り、手紙にはその情景があふれていたという。『にいさん』の終わりにはそういう風景が描かれていて、閉じた時に温かな気持ちになる。ゴッホは決して孤独ではなく家族の深い愛に包まれていた。
(章)
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