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思い出を語る会 | 557号 |
5月初めに親戚の文子さんの思い出を語る会が教会で開かれた。文子さんは亡くなる3週間前にクリスチャンになった。告別式は家族だけで行われ、時間は経っていたが、親戚・縁者にとっては思い出を語る会が告別式に思えた。「普段着で、お花料などお心遣いは一切なく」とのことだったが、周囲は「いや礼服で、ご霊前を持って行かないと」と前日まであたふたした。
当日、手作りの式次第を手渡され、思い出を語る会は礼拝堂で行われた。はじまりのピアノ演奏のあと、賛美歌「いつくしみ深き」をみんなで歌い、牧師による祈祷、それから文子さんの略歴が紹介された。
1932年、米穀店を営む家に生まれた。6人姉弟の2番目で、小さいころから家の手伝いをした。14歳の時に病で母を亡くした。24歳で結婚。夫の母と3人の義理の妹たちを世話し、2人の子どもが生まれ、8人家族になった。その子どもたちが成人し、孫が3人生まれ、運動会にはいなり寿司やのり巻きを作って応援に行った。震災前年に夫を亡くし…。
その後も何曲か賛美歌を歌い、娘や孫たちが文子さんとの思い出を語りながら聖歌をソロで歌ったり、横たわる文子さんに聴かせたパストラルハープを奏でたりした。最後に牧師が祈りを捧げ、礼拝堂での会を終えた。それから数分歩いた教会の別施設で昼食を取り、合間に親戚などが思い出を披露し、お開きになった。
子どものころからよく笑い、笑いが止まらなくて祖母に叱られた。野菜や庭づくりが好きで、よく美味しい野菜を届けてくれた。芯が強く、しゃきしゃきしていた。歌が好きで、よく歌っていた――話に耳を傾けながら、それぞれが文子さんを思った。スクリーンには代わる代わる思い出の写真が映し出された。
絵本作家のスーザン・バーレイの『わすれられないおくりもの』のような会だった
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