536号 「こわれたオルガン」(2025.6.30)

画 黒田征太郎

 

  歴程詩の会が開かれた神保町の「らんぼお」は

        昭森社の一階だった

 

「こわれたオルガン」

 草野心平の詩集『こわれたオルガン』が手元にある。きっかけは黒田征太郎さんだった。いつものようにイラストが届き、「詩など縁のないぼくが本屋で『こわれたオルガン』を見つけ、買いました。装幀は野中ユリさんです」という便りが入っていた。それを読んで、その詩集を手に取りたくなり、古書店のサイトで見つけて注文した。
 発行は昭和は43年で、発行所は昭森社。表紙と裏表紙に分厚い段ボールが使われ、タイトルがへこんでいる。見返しは黒。そこに富士山の写真か張りつけられている。ひょっとしたら銅版画かもしれない。とにかくしゃれていて、「とても美しい詩集だ」と思った。
 そのなかに詩「アイスクリーム」が入っている。比叡山で死を待つばかりの弟、天平のためにアイスクリームを魔法瓶にぎっしりと詰めて夜行列車で向かう心平。その思いを「天平よ生きていて待て。/最後のたべものにならないための改めての最後のたべものを死なずにいて待て。」と表現した。この詩は天平が亡くなるひと月半前の、昭和27年3月7日に書かれた。心平の、天平への思いがまっすぐ出ていて、とても好きな詩の一つだ。
 そして15年後、63歳になった心平は、詩「こわれたオルガン」で「肉体のなかには唸る星雲も曾てあった。/そしていま。/オレの夕暮れにたなびく最後の。/豊旗雲。)と自らの老いをうたっている。
 この本をめぐり、さらに驚いたことがある。昭森社を創業した森谷均は戦後、社屋(神田の神保町1丁目)の1階で喫茶兼酒場「らんぼお」を経営していたというのだ。文学者のたまり場だったこの店では歴程詩の会も開かれていた。昭和24年のクリスマス会には心平も天平も出ていて、のちに天平の妻となる梅乃も、女子学院の教え子で劇団研究生だった宮崎恭子(のちの仲代達矢夫人)と参加している。店は昭和24年に閉じられたそうだから、最後の宴だったのかもしれない。  
 森谷は岡山県笠岡市出身。昭和10年に京橋(東京都中央区)に昭森社を立ち上げ、戦後は神保町に移って詩集や美術書などを出版した。ロダンの彫刻に似ていることから「和製バルザック」と呼ばれ、文学者などから慕われたが、昭和44年に71歳で亡くなった。 
 昭森社が出していた雑誌「本の手帖」の編集を担当していた笠井久子は当時のその界隈について「露路の突き当たりは三省堂の裏口、左側に赤提灯の飲み屋、軽食のチャボ、珈琲ミロンガ、その隣が森谷さんの昭森社。左側に富山房、喫茶ラドリオと並んでいる」と書いた。そして心平も「昭森社の社屋に、社屋といっても畳数にしたら6枚か7枚ほどの板の間に、昭森社とユリイカと思潮社と日本に於ける三大詩書出版社が、夫々1つ位ずつの机を並べていたのは、一種の摩訶不思議であった」と森谷を偲ぶ追悼文で思い出を綴っている。「らんぼう」があった神保町を散策してみようと思う。楽しみだ。

                                        (安竜 昌弘)

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