

| 30つながり |
日曜日の午後に原稿を書く時間をとる。3月初旬の日差しは春の陽気を感じさせながらも、肌にあたる風はまだ冷たく、コートをカバンに詰め込んで出かける日が続いている。
私は今年度67歳になった。この年齢にちょっと驚いているのが、正直な気持ち。現在勤めている東京藝術大学は定年が67歳で、たまたま学長の任期があと2年あるので来年度も大学にいるけれども、そうでなければ今年度で定年退職という年なのである。
同じ年の教員を送り出しながら、「そんな時が来るのだなぁ」と変な気分。私が藝大に助教授として呼ばれたのは1995年、37歳の時であった。定年するなんていうのは、はるか先だし、その時までいるかどうかもわからないし…。それから30年がほんとうに経ってしまったのである。
30歳になった時のことをよく覚えている。24歳(1982年)の時にパルコの日本グラッフィク展でグランプリを受賞したのをきっかけに、社会の中で自身の活動を発表する機会を得て、広告媒体、映像、プロダクトデザイン、展覧会などで膨大な量の作品を発信し続けていた。それはまさに、自身の若さの勢いと当時の日本経済の勢いと世間のムーブメントが相まった状況であったように思える。
そんな気分の最中に、自分が20代でなくなるという30歳になる誕生日の日に私は、自分が30代になるということがイメージできなかったのを覚えている。当時の私からすると30代はすでに若者ではなく、「30歳になりたくなーい」というあがきに似たような気分で誕生日を迎え、夜中の零時に夜空の月に向かって「Wooooo―――」と吠えたのでした。
20歳になる時はほとんど何の意識もなかったのだが、10歳になる時のこともはっきりと覚えていることがある。「ぼくはもう一桁の年齢には二度と戻れなくなるのだ。しばらくはズーと2桁の年齢が10歳の誕生日の日から始まるのだ」と…。
私は昭和33年生まれで、この年の生まれは令和8年には68歳になります。つまり、昭和を30年、平成を30年、令和を8年生きてきたということなのです。令和30年にはトリプル30で90歳! こうなれば、10歳になろうとする1桁のかつひこくんに「3桁になり、しばらくは3桁の年齢が続きます」とお伝えしたいです。
(アーティスト)
