ストリートオルガン

大越 章子



画・松本 令子

    いま過ごしているこの時も
    やがて時代の層となっていく

 多賀城跡とさくらももこ展

 仙台の北東側に多賀城というまちがある。奈良時代から平安時代にかけて陸奥国の国府や鎮守府が置かれ、古代東北の政治・軍事の中心地だった。奈良の平城京、九州の拠点だった大宰府と並び、朝廷の支配を東北に広げるための重要な役割を担っていたという。
 その多賀城にある東北歴史博物館で開かれていた「さくらももこ展」に、家族の強い希望で閉幕前日に出かけた。翌日、南相馬で舘野泉さんのピアノ演奏を聴く予定だったので、松島に宿を取って一泊することにし、時間があれば途中で塩釜を歩くという、おおまかなスケジュールを立て、カーナビの目的地を東北歴史博物館にして出発した。
 三陸自動車道の多賀城IC(インターチェンジ)で降りて、県道35号泉塩釜線を5分ほど走ると、左側に2階建ての大きな門が見えてきた。復元された多賀城南門で、地域全体が国の特別史跡に指定されている。東北歴史博物館は道路を挟んで南門の反対側、多賀城廃寺跡の手前にあった。うしろには住民の要望で2001年に設置された、東北本線の国府多賀城駅がある。
 博物館のロビーには多賀城跡の復元模型が展示されている。仙台平野や仙台湾が一望できる丘陵に、およそ1キロ四方の城郭のほぼ中央に重要な政務や儀式、宴会などが行われた政庁があり、城内の各所に実際に行政事務を行う役所や兵士の住居などもあった。南門から政庁までは城内のメーンストリートで、城跡の南から西側の沖積地は道路で地割された市街地が広がっていたらしい。
 説明文を読みながら東西南北と1周して模型を眺めているうちに、政庁跡辺りまで歩きたくなった。南門近くの覆堂に立つ多賀城碑には多賀城の由緒や平城京からの距離などが刻まれている。多賀城の衰退とともにいつの間にか姿を消し、長い間、忘れられていたが、江戸時代の初めに見つかったという。松尾芭蕉は『奥の細道』で、変わらぬ姿をとどめている碑に「泪も落つるぱかり也」と書いている。
 国府多賀城駅周辺は古といまが混在していて面白い。あとで調べてみると、政庁の先までぐるっと散策するには3時間ぐらいかかる。さらに多賀城廃寺跡などにも足を延ばそうとすれば1日を要するだろう。国府多賀城駅から仙台駅までは電車でおよそ15分。電車がタイムマシンにも思える。

 さて「さくらももこ展」は、大勢の人でごった返していた。幼いころから漫画家になりたいと思っていたさくらさんは高校3年生の時、少女まんが雑誌「りぼん」に投稿したが入選せず、夢をあきらめようとした。ところがある日、模擬試験で書いた作文を採点者から「清少納言が現代に来て書いたようだ」と高く評価され、それをきっかけに得意なエッセイを漫画で描いてみるのはどうだろう、と思いついたそうだ。
 短大在学中の1984年にデビューし、2年後、「ちびまる子ちゃん」の連載が始まり、90年にテレビアニメ化され、毎週、放送されるようになった。主題歌の「おどるぽんぽこりん」の作詞もしている。その翌年には初めてのエッセイ集『もものかんづめ』が出版され、その後、落書きから生まれたコジコジもマンガ連載された。94年には長男が生まれ、絵本や絵日記なども手がけていった。
 さくらさんが生まれたのは1965年(昭和40年)。ちびまる子ちゃんは小学3年生なので、家族やクラスメートと過ごす1970年代半ばの昭和のさりげない日常生活が描かれている。「なぜ博物館で、さくらももこ展?」と思ったが、さくらさんの作品を通して昭和の日常を伝えたかったに違いない。
 さくらさんの53年の生涯が作品とともに詰め込まれた展覧会。多才で熱く駆け抜けたその人生と、妥協せず丁寧に向き合ったユーモア溢れる作品から、知らなかったさくらさんにも出会えた。いま過ごしているこの瞬間も時代の層になっていく。多賀城に漂う空気のせいなのか、展覧会場を出た時、そんなふうに感じた。残念ながら政庁跡には行けず、多賀城廃寺跡を車で通ってあ

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