ストリートオルガン

大越 章子



画・松本 令子

「やっぱり、お雛さまはいいわね」

 雛人形のはなし

 桃の節句が間近になった日曜日、家族で日本間に雛人形を飾った。2月の初めに客間のガラスキャビネットに、母が作った木目込みのお内裏さまとお雛さまを飾ったが、押入れに入れたままの、わたしたちの雛人形も1年に1度、飾ってあげないと、と母が言い出した。
 お内裏さまとお雛さま三人官女、五人囃子、右大臣、左大臣をそれぞれ箱から取り出して薄紙をはずし、ガラスケースの決まった場所に置いた。飾りながら母はいつも、自分の雛人形のことを話す。親戚の多い農家に生まれた最初の子どもだったので、屋根付きの御殿に雛人形を並べた「御殿飾り」だったという。
 御殿は大小2つあって、それぞれにお内裏さまとお雛さま、三人官女などを飾った。母方の実家は大きな雛人形を一式、親戚の各家庭からは「うちは三人官女」「うちは五人囃子」などと分担して贈られ、ほかにも高砂人形といったガラスケースに入った縁起物の木目込み人形が並び、賑やかだったと、うれしそうに、懐かしそうに言う。
 下に妹が何人もいたので、嫁ぐ際に、それらはすべて実家に置いてきた。わたしたち子どもに手がかからなくなると、母は紙人形やちぎり絵教室に通い、そのあと「いつか雛人形をつくりたい」という目標を胸に秘めて、木目込み人形の教室に行き始めた。
 木目込み人形の教室で最初に作ったのは、掌にのるぐらいのカエルだった。いまも陽の当たらない廊下の隅のガラスキャビネットにちょこんといる。それから幼い男の子と女の子、春を待つ女の子やお出かけする女の子、秋になると翌年の干支を手がけた。
 木目込み人形は江戸時代中期に、京都で作り始められた。胴体に彫られた溝に布地の端をヘラで押し込んで木目込み、あたかも衣装を着ているように見せる。胴体の表面を紙やすりで滑らかにしたり、布地をきれいに押し込められるように溝を整えたり、下準備の具合によって人形の出来栄えが違ってくるという。
 能の小鍛治や連獅子、高砂、それに竹取物語や浦島太郎、光源氏、紫式部、それから横山大観の作品をモチーフにした無我、市松人形、お福さん、思わず微笑んでしまうユーモラスな花嫁人形、鯉のぼりや兜、お正月用の羽子板など、母はその時々、作りたいものを思うままに作った。祖母の着物の端切れを使った娘人形は、ありし日の祖母を思い出させた。
 新作はガラスケースに入れてお披露目し、客間のガラスキャビネットは季節ごとに人形を入れ替え、ほかは廊下のガラスキャビネットと押し入れのなかで出番を待った。教室に通って5、6年経ったころだった。何体か立ち雛に挑戦したあと「いよいよお雛さま」と、念願の雛人形を作り始めた。

 ある日、母が「見て、できたのよ」と、大きな箱を大事そうに抱えてきた。なかから出てきたのは、お内裏さまとお雛さま。着物の柄も色の組み合わせも品があり、襟元などもきれいに仕上がっていた。どちらもいいお顔をしていて、作り手の思いが伝わってくる。実家に置いてきたお雛さまや、当時の賑やかなひな祭りを思い出しながら作ったのだろう。以来、毎年、立春になると、まず最初に母手作りの雛人形を飾っている。
 お雛さまを見つめながら、母は「やっぱり、お雛さまはいいわね」と、にこにこしながら言う。雛人形は桃の節句が終わったら、しまうのがいいと言われている。そろそろ片づけて、兜や鯉のぼりに乗る男の子の人形を飾ろう

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