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夏の甲子園のはなし | 564号 |
1971年の夏だった。祖母の家の応接間のテレビの前にみんなが集まり、甲子園の決勝戦で横浜の桐蔭学園と戦う磐城高校を応援した。応援旗の代わりに虫取り網を左右に振って「がんばれ」と、画面に映るナインたちにミンミンゼミの鳴き声に負けない声援を送った。「あれよあれよと勝ち進んで、決勝戦だものね」と、大人たちはうれしそうに話していた。
当時、小学1年生だったので詳しく覚えてないが、とにかく熱く賑やかな応接間の応援風景を夏になると思い出す。いわきの高校野球ではもう1つ、小学5年生の時、隣に住んでいた青木稔さんが磐城高校の監督をしていて、夏の甲子園に出場した。1回戦は不戦勝で、2回戦、3回戦と勝って準々決勝の試合の前に、NHKが監督夫人を取材に来た。
「アイロンをかけながら話してくださいと言われて」と母に話していた通り、地方ニュースで思いを語る隣のおばさんの姿が放送された。近所に磐高野球部員の家もあり、そのお母さんが合宿所で炊き出しをしていることも報道された。
この夏、久しぶりに高校野球を熱心に見た。東日本国際大学附属昌平の試合があった時は、夕方の地方ニュースや夜の全国ニュースもこまめにチェックして、「熱血甲子園」は録画した。それは元気なころの父がひいきのプロ野球チームが勝つとしていたことだった。
昌平のプレイは最後まであきらめない、すがすがしさがあった。ユニフォームの袖口のいわき市にもわくわくした。いい夏をありがとう。
(章)
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