月刊Chronicle

画・黒田 征太郎

ときが過ぎひとが過ぎいまも心に残るその面影

 おみおくり

 大正生まれの伯母が亡くなり、実家を預かる者として献杯のあいさつをした。若いころは評判の美人だったこと、でも庶民的でお高くとまっているところがなかったこと、幼いころに映画に連れて行ってもらったことなどを、短く話した。毅然とした遺影が見守ってくれた。そんなことがあって、映画「おみおくりの作法」を見返した。
 主人公はロンドンで民生係として働く、44歳の独身男性。孤独死した人たちの人生に敬意を払い、参列者が自分しかいないのに弔辞を書いて牧師に読んでもらう。そんな「おみおくり」が信条だ。ところが人員整理のために解雇されることになり、その仕事ぶりも「経費がかかりすぎる」と批判されてしまう。
 最後の仕事は、自分が住むアパートの近くに住んでいた、ひとり暮らしの男性のおみおくりだった。その部屋からは通りを隔てて自分の部屋が見え、自らの最期が重なる。そして遺品を手がかりに、故人と交流があった人たちを探す旅に出る。
 ふと、田村隆一の「Fall」という詩が頭に浮かんだ。

 落ちる/水の音 木の葉/葉は土に 土の色に/やがては帰って行くだろう 鰯雲の/旅人はコートのえりをたてて/ぼくらの戸口を通りすぎる/「時が過ぎるのではない/人が過ぎるのだ」/ぼくらの人生では/日は夜に/ぼくらの魂もまた夕焼けにふるえながら/地平線に落ちてゆくべきなのに/落ちる 人と鳥と小動物たちは/眠りの世界に

 映画は思いもかけない展開を見せる。主人公が交通事故で亡くなってしまうのだ。ゆかりの人たちは「葬儀に出てほしい」と頭を下げられ集まったというのに、その本人がいない。理由もわからない。埋葬が進むなか、そのすぐ近くでは、だれも気がつかずに主人公の埋葬が行われ、丁寧におみおくりをしてもらった人たちの霊が、温かく主人公を取り囲むというのがラストシーンだ。原題は「Still Life」。「いまも続く生」という意味が込められているのだという。
 コロナ禍のなか、おみおくりのあり方が見直されている。葬祭場パッケージは確かに手間いらずだが、なんだか味気ない。「通夜」とはそもそも、亡き釈迦の思い出を朝まで語り合ったことから始まったのだという。ありし日の姿を偲び、その人生を輝かせるおみおくりができたら、と思う。

(安竜 昌弘)

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