162号 先輩との酒(2009.11.30)

画・黒田 征太郎

「借りて飲んではいけない」という教え

 先輩との酒

 先月末、大阪に住む先輩が久しぶりにいわきに帰ってきた。前に勤めていた地元紙で「記者とは」をたたき込まれた人である。あれからもう30数年。焼酎を飲みながら「おれもあと2年で定年だ」と先輩が言った。2人ともずいぶんと年を重ねた。

 地元紙でのつきあいは2年とちょっとだった。先輩はすぐ全国紙に転じ、デスクを長くやった。そのせいか、記事に対する見方が厳しい。それでいて人間味がある。ずいぶんと助けられ、教えられた。
 こんなことがあった。先輩が情報を持ってきてくれた。一応取材に行ったが、荷が重くてまとめられない。知らんぷりを決め込み、そのままにしてしまった。
 数日後、取材先から先輩のところに電話がかかってきた。机が向かいの自分の顔をチラッと見ている。「あのことだ」と身がすくんだ。取材先にしてみれば、どうしても記事にしてもらいたかったのだろう。でも記事がなかなか載らない。そこで電話をかけてきたらしかった。先輩は静かに電話を切った。そして何も言わなかった。何日かして、その記事が社会面のトップになった。
 こんなこともあった。新人記者が入ってきた。初めての後輩で、高校、大学と野球をやっていたスポーツマンだった。でも警察回りでつまずいた。一生懸命やっているのだが警察に食い込めず、結果が出ない。苦しかったのだろう。どんどんため息が増え、会社に来なくなった。そして部長に「辞めたい」と申し出た。みんなが「落伍者」という目で見た。
 そんなとき、先輩が「送別会を企画するように」と命じた。「えっ」という顔をすると「それとこれとは別だ」と言った。仕事でつまずいたからと言って人間そのものを否定してはいけない、という意味だったのだろう。後輩を冷たい目でみていた自分を恥じた。

 先輩は全国紙時代、結構あちこちの支局を歩いた。記憶しているだけでも新潟、神奈川、北海道…。東京の本社にもいた。大阪の前は山形住まい。新聞社系列の地方テレビ局で役員をしていた。
 酒を酌み交わしながら「山形はいい」と言った。そして鶴岡や米沢、月山や鳥海山の話をしてくれた。そういえば、先輩と飲む酒はいつも旨くて、楽しかった。話題が豊富で熱く、店を替えるたびに話題を変えた。お互い、安給料だったが「現金で飲むこと。どうしようもなく店から借金したときには、次の日に返しに行くこと」を教えられた。そんな思い出話をすると「そうだったかなぁ。覚えてない」と苦笑いした。

 家への帰り道。鶴岡の風景と映画「おくりびと」のシーンが重なって仕方なかった。そして翌日、衝動的に鶴岡へ向けて車を走らせた。昼に米沢ラーメンを食べ、上山あたりを走っていたら雨が激しくなった。月山を過ぎ、鶴岡に入った。人影はまばらだったが、まちがしっとりしていた。
 湯田川温泉へ行き、公衆浴場を利用した。近くの店で入浴券を買ったら、200円だった。藤沢周平の小説にも登場する、この温泉場はなんとも趣がある。湯に入ると地元の男性が山形弁で「どっからきたの」と声を掛けてきた。ほとんどが常連なので、よそ者はすぐわかるのだろう。「いわきから。そぉ。山の天気はわかんねぇから、早いうちに戻った方がいいよ」とアドバイスをもらった。
 思いつきの日帰りは無謀だった。でも、年を重ねたせいか人に慣れ、ひとりでいることがほんの少し多くなった。

(安竜 昌弘)

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