

「君、ありし頃」を読み「君去りし後」を聴く
思い出ベンチ |
新潮社が発行している「yom yom」を買っている。最近は雑誌を買うことがほとんどないのだが、つい買ってしまう。お目当ては川本三郎さんの連載「君、ありし頃」。最新号で4回を数えた。「君」は川本夫人の恵子さん。昨年の6月17日未明、食道癌のために亡くなった。足かけ3年の闘病生活で、まだ57歳。早すぎる死だった。
川本さんは評論家で、文学や映画、町について書くことが多いが、身の回りについてのエッセイも結構ある。なかでも自らの人生を綴ったものに引き込まれる。その代表が『マイ・バック・ページ』。最近では鈴木邦男さんとの対談集『本と映画と「70年」を語ろう』を一気に読んだ。
『花の水やり』という小さな本がある。膨大な著作のなかでは極めて地味なのだが、そこに収録されている「大先輩」という文章が好きだ。
川本さん27歳、「朝日ジャーナル」の記者をしていたときに、ある過激派が引き起こした殺人事件に巻き込まれ、取材の過程で逮捕された。朝日新聞社も辞めさせられた。そして裁判。弁護側の証人に立ってくれたのが、3カ月ぐらいしか一緒にいなかった最初の上司(「週刊朝日」時代の編集長)だった。
先輩は証言台に立ち、「ジャーナリストの仕事はつねに危険が伴う。それをおそれていては仕事ができない」「誰もがやっている仕事でミスをしたら問題だが、誰もやらなかった仕事でミスをするのは決して批判されるべきことではない」と弁護した。
川本さんはいつもひっそりと、それでいてきちっと自分をさらけ出す。
「君、ありし頃」は、恵子さんとの日々や思い出を淡々と書いている。しかし決して読み手をそらさない。恵子さんが食道癌と宣告されてからどんな治療を受け、自分は夫として何をしたか、その間の心の葛藤、恵子さんがいなくなり、ひとり取り残されてしまった自分のいま、それがひとつひとつのシーンとして積み上がり、しっとりとした日本映画のように読む側に染みこんでいく。
最新号で「思い出ベンチ」について書いている。東京都に代金を払って、その公園に思い出を持つ人間が感謝の気持ちを込めてベンチを置いてもらう制度。川本さんと恵子さんは手術のあと、家から歩いて10分ぐらいのところにある善福寺川緑地公園を散歩するのが日課だった。
恵子さんは新緑のころの大きなクスノキとプラタナスがお気に入りで、その木の前で深呼吸して抱きついた。公園には思い出ベンチがあり、よく座った。川本さんも、善福寺川緑地公園にベンチを置いてもらうつもりだ。
いわきにもベンチがたくさんある。時々散歩をしてベンチに座り、電話で話したことがある恵子さんのことを思う。そして「君、ありし頃」は川本さんのいま、つまり「君去りし後」を垣間見ることができる窓なのだ、と実感する。
「君去りし後」はジャズのスタンダードナンバー。北村英治のクラリネットとテディ・ウィルソンのピアノが耳にやさしく、温かくて長い間聴いている。
(安竜 昌弘)
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