170号 火の魚(2010.3.31)

画・黒田 征太郎

栃折久美子さんが立ち上がった

 火の魚

 久しぶりに、いいドラマを見た。先月13日の夜、NHKで放映された「火の魚」。室生犀星の短編小説をもとに、渡辺あやさんが脚本を書いた。渡辺さんは島根県で雑貨店を営みながら2人の子を育て、脚本家をしている女性。「切れ味の鋭いドラマだ」と思った。
 小説家と女性編集者の物語。舞台設定を現代に置き換えてはいるが、実在の人物である室生犀星と栃折久美子さんの感じを、原田芳雄と尾野真千子が好演している。
 原田がこんなふうに言う。
「どうせ、おれが書くものなんか、心の奥で馬鹿にしてるんだろう。わかってるんだ。おまえが認めている作家の名前を言ってみろ」
 すると尾野が顔色も変えずに答える。
「カポーティとチェホフ、それに横光利一でしょうか」
 原作にこの記述はないから、脚本家である渡辺さんの好みだろうか。いや、ひょっとしたら栃折さんかもしれない。
 栃折さんの名を初めて目にしたのは、「ガッ会ノート」でだった。「ガッ会」とは昭和36年に草野心平が発案して5人で始めた「うまいものをたべる会」の名称で、心平のほか4人は筑摩書房関係者。筑摩社長の古田晁、そして編集者の竹西寛子、松田寿、栃折久美子さんという顔ぶれだ。記録係が栃折さんで、几帳面なペン字とイラストで料理の詳細や店がある位置図などが、バランスよく記されている。のちに装幀家になったのもうなずけるほどセンスがいい。
「ガッ会」とは「カツガツ食う会」の略。音だけだと「学会」と勘違いしてもらえるかもしれない、と心平がつけた。自由人の集まりのわりには、規則が結構うるさい。
 月1回集まることとし、店は安くてうまいところ。しかも経験済みの店には2度と行かない。メニューや酒の銘柄は克明に記録し、割り箸の包み紙まで張り付けておく。欠席者は2倍の会費を払い、酔っぱらってぶざまな行動に及んだときには、除名処分もある。
 ノートのコピーを見ると、会費は500円が目安で限度は1000円。第1回の例会は新宿の「みづほ」で開かれ、古田が欠席して1150円を徴収された。出席者は500円ずつ払い、合計の支払いは3150円だったから、足りない分を古田が払った勘定だ。流れる場所はバー「学校」が多く、ノートや心平の日記から、その交流ぶりがしのばれる。

 栃折さんのことを知るには、自身の何冊かの著書と東京女子大時代の恩師である臼井吉見の『15年目のエンマ帖』がある。筑摩書房では「日本文学アルバム」を担当し、その後脊椎カリエスを病んで装幀家に転じた。ベルギーに留学し、製本技術を学んだ経歴を持っているのも興味深い。犀星の「火の魚」では、栃折さんという女性の本質が鋭く描かれていて、栃折さん自体、「自分自身の魂をそっくり抜き取られ、1個の作品として定着されてしまった」と感じたそうだ。
 資料によると1928年(昭和3年)12月7日生まれだから、現在81歳。いつか会って、安くてうまいものでも食べながら、交流があった作家のこと、ドラマについてうかがえたら、と思う。

(安竜 昌弘)

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