174号 水木しげると深大寺(2010.5.31)

画・黒田 征太郎

調布に住んで50年とか

 水木しげると深大寺

 昨年の夏、深大寺に行った。京王線のつつじヶ丘駅前からバスに乗り、15分ぐらいだっただろうか。少し走ると武蔵野の面影を感じさせる雑木林があって、いいところだった。
 深大寺は草野天平と梅乃が初めて話をしたときに練馬区下石神井の御嶽神社から歩いていった場所で、1度は行きたいと思っていた。そのときは世田谷文学館で「堀内誠一展」もやっていて、ちょうどよかった。昼には少し早かったが「空いているうちに」と茶店に入って深大寺ビールと天ざるを注文して涼んだ。どちらもうまかった。
 休んだ茶屋のすぐ近くに、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラクターに彩られた茶屋があった。「どうしてこんなところに。商業趣味だな」と思い、ミーハーの虫を押し込めたのだが、「ゲゲゲの女房」を見ていてその理由がわかった。
 水木しげるは昭和34年から50年も調布市に住んでいて、天神通り商店街には鬼太郎や妖怪のモニュメントが設置されている。水木は調布のなかでも深大寺と墓場がお気に入りで、7年前、深大寺門前にそれまであった蕎麦屋を改装して「鬼太郎茶屋」がオープンしたのだという。
 調布市は、水木の出身地である鳥取県境港と同じく、水木しげるでまちおこしをし、平成20年には「名誉市民」の称号を水木に贈っている。顕彰式でのあいさつが水木らしく、「こういう席で何か一言といわれても、うれしいと言わざるを得ないし、悲しいとは言えないですな。まあ、ありがとうございましたということで、終わりでございます」と言って場内は笑いの渦に包まれた、と調布市観光協会のホームページが伝えている。妖怪人間・水木の面目躍如と言えるだろう。
 深大寺といえばかつては松本清張の『波の塔』の舞台として知られ、一躍カップルのデートスポットになった。しかしいまは「ゲゲゲ」を目当てに人が集まる。変われば変わるものだな、と思う。
 水木しげるは、手塚治虫、石ノ森章太郎などトキワ荘のメンバーたちと比べると地味で日陰の存在だった。アシスタント経験者のなかには、つげ義春、池上遼一など実力派の渋い面々が名を連ねている。そして人生も終盤にさしかかって脚光を浴び始めた。貸本、『ガロ』などマイナーな世界で息長く、手を抜かずに描き続けてきたことへのご褒美なのだと思う。

(安竜 昌弘)

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