176号 ヘレン・トーマスの引退(2010.6.30)

画・黒田 征太郎

アメリカの良心が消えてしまった

 ヘレン・トーマスの引退

 アメリカ・ホワイトハウスの記者会見場「ブリーフィング・ルーム」。その最前列の中央に「Helen Thomasu」(ヘレン・トーマス)というプレートのついた椅子がある。ケネディ時代から歴代10人の大統領を取材してきた名物女性記者ヘレン・トーマス(89)に敬意を表してのものだが、本人はもう、そこに座ることはない。
 ヘレンは、イスラエル軍がパレスチナのガザ支援船を襲撃し、市民運動家9人が死亡した事件を知り、激怒した。自らがレバノン移民の娘という出自だけに特別な思いがあったのかもしれない。ウェブサイトのインタビューで「イスラエル人はとっととパレスチナから出て行け。ドイツでも、ポーランドでも、何ならアメリカにでも」と言ってしまった。それが「暴言だ」とアメリカ中から集中砲火を浴び、自ら身を引いたのだった。
 ヘレンは1920年、ウィンチェスターで生まれ、ケンタッキーで育った。ジャーナリズムに関する最初の仕事は、ワシントン・デイリー・ニューズでの原稿運び。記者に昇進した直後に大規模な雇用削減によって解雇され、UPIに転じた。1960年からはUPI通信員としてホワイトハウスに入り、2000年にUPIがNWCに買収されて、フリーの記者になってからも、ホワイトハウスで取材を続けてきた。
 歯に衣を着せぬ質問を浴びせ、「国民が聞きたいことを聞く」のが信条。そうした姿勢が記者仲間に尊敬されて、一番前の中央の席は自然とヘレンが座るようになった。しかし、ジョージ・ブッシュ時代にはあまりに聞きにくいことを聞くために、「フリーであること」を理由に一番後ろの席に追いやられ、質問させてもらえない不遇を託ったが、めげずに何回も手を挙げ続けた、という反骨精神の持ち主でもある。
 ヘレンは言っている。
「レポーターは公の人間に対して質問できる最後のフロンティアなのです。私たちがやらなければ何も始まりません。アメリカの大統領たるものどのような質問にもしっかり答えるべきです。もしそれができないというのであれば、何のために会見に来るのでしょう。私がいつも尋ねるのは“なぜ”ということだけです」
 そして良いジャーナリズムが育つのを妨げとなっているものとしては
「恐怖です。そして勇気が足りないことです。なにより仕事を失いたくない。家族を養わなければいけないですから…。しかし、私たちの仕事は真実を見つけることです。それ以外の仕事はないといっていいでしょう」
 9.11以来、アメリカは愛国主義者であることが正しいという風潮になり、メディアがメディアとしての機能を果たせないでいた。そうしたなか、記者たちが政府に働きかけてヘレンの質問が許されるようになった。そして3年ぶりにブッシュ大統領に直接指名されたヘレンは尋ねる。
「私たちはイラク人とアメリカ人を何人殺せばいいのですか? 私の質問は『あなたは一体なぜ戦争をしたかったのか』ということです。本当の理由は何なのですか?  答えてください」

 日本の記者会見を思う。聞きにくいことを尋ねる記者がいると一斉に「空気が読めない記者」と不快感を露わにする。そこには、国民や市民の代わりに聞いていることを忘れ、自分と為政者の関係しかない。波風が立たないようにスマートに終わらせることしか頭にない。悲しい限りだ。

 ヘレンの発言は決して許されることではない。しかしアメリカはナショナリズムに固執し、正当化するあまり、1つの良心を失った。ニューヨークタイムズはヘレンの引退についてこう報じた。
「トーマス女史にとって不名誉な結末だろう。というのも、彼女はジャーナリズムの世界の無数の女性たちの先導役を果たし、非公式ながらホワイトハウス記者団の軍団長のタイトルを与えられていたのだから」

(安竜 昌弘)

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